そして、シチュエーション、モティーフだけでなく、この幻想的で、怪奇的で、昔話的な世界観を「セリフとモノローグ」が補完するのだ。「昔話」(※メルヒェン、おとぎ話、神話的な物語)には、「出来事と言葉の反復」が必ず必要とされる。以下がその代表的な事例だ。
鬼になってしまった禰豆子は陽光を弱点とするため、日中は歩き回ることができない。そのため、炭治郎が禰豆子を運んでやる必要があった。これは、背負って運びやすいようにと、炭治郎が鬼の妹に「小さくなれ」と声をかけた時のセリフだ。
<小さく 禰豆子 小さくなれ>(竈門炭治郎/1巻・第2話「見知らぬ誰か」)
実際に小さくなる能力を持っているのは禰豆子なのだが、言葉が反復することによって、まるでおとぎ話の不思議な呪文のように、炭治郎のセリフが響く。「鏡よ 鏡よ 鏡さん」という「白雪姫」のあの有名な一節と同じ物語的効果があるのだ。
その後、天狗の面をつけた謎の老人・鱗滝左近次(うろこだき・さこんじ)が登場し、炭治郎に剣術を指南する。鱗滝は昔話世界でいうところの「過去の勇者」であり、若者に超自然的な力を授ける「賢者」でもある。
物語が進むと、炭治郎は鬼殺隊の入隊試験に際して、かつて鱗滝に捕縛され、藤襲山に封印された「魔物(鬼)」と戦うことになる。この鬼・「手鬼」は江戸時代から大正時代まで捕らえられたままで、途方もない長い年月、鱗滝への恨みをつのらせていた。
<鱗滝め 鱗滝め 鱗滝め 鱗滝め!!!>(手鬼/1巻・第7話「亡霊」)
手鬼によるこの言葉の反復は、鱗滝を恨み続けたとてつもなく「長い時」を表現するとともに、「常軌を逸した狂気」を表現している。鬼に名前を“繰り返し”呼ばせるだけで、これらが巧みに表されているのだ。
■“死んだ人”の言葉がよみがえる「反復」の技巧
吾峠氏による優れた叙述技巧は、これだけにとどまらない。長い論考にしないと語り尽くせぬほどの多彩さがあるのだが、文字数の関係で、あと一つだけ紹介したい。“死んだ人”の言葉がよみがえる「反復」の技巧だ。