――テレビバラエティ戦国時代の昨今、「脱力タイムズ」は異彩を放っている。稀代のテレビマンである名城さんは、なぜテレビの道を志したのですか?
中学生くらいからテレビの制作をやりたいと思っていました。フジの番組にふれることが多く、中でも「夢で逢えたら」の、サザンオールスターズを起用したオープニングがあまりに斬新でおしゃれで、衝撃を受けました。上京してからも東京ってすごいなと。僕が理解していなかったことを当たり前に踏まえて話してるやつがいて、知識量とか興味の軸とかが多くて。いま何に活かされているかと問われれば、全く分からない(笑)。
――大学卒業後、迷わずテレビ界に入った。「笑っていいとも!」でタモリに、「SMAP×SMAP」で木村拓哉の薫陶を受ける。名城さんは2人のビッグスターから何を得たのか?
打ち合わせで、タモリさんに熱く説明した時、ばーっとしゃべったら、タモリさんが「お前熱い」と叱られたことがありました。いっぱいいっぱいになっていた自分を、その一言で冷静に戻してくれたんです。笑っていいともは今は珍しい生放送のバラエティ番組。しかもそれぞれがレギュラーを張れる人たちが一堂に会するすごい番組でした。出演者はもちろん、作家や制作スタッフも優秀な人たちが集まっていた。そこで揉まれたのかもしれませんね。
僕がディレクターになれたのは木村さんがきっかけです。「SMAP×SMAP」で鈴木おさむさんと僕で木村さんのコントを担当していました。この2人のやりとり、発想に追いつくのがやっとでした。木村さんからは「ファンのことをまず考えてほしい」と教わりました。木村さんは僕の意見を無碍にすることはなくて、木村さんの意見を僕たちの意見と混ぜていくやり方なんです。「ホストマンブルース」というコントを撮っていたとき、当時、歌舞伎町で活躍するホストが実際に演技指導してくれたんです。木村さんはしっかり彼らを演者として扱っていました。気遣いの人です。自分が面白いと感じたからということではなく、視聴者が面白いかどうかをまず意識するようになりましたね。