山藤章二さん(撮影/写真部・東川哲也)
山藤章二さん(撮影/写真部・東川哲也)

「週刊朝日」で長く連載してきた「山藤章二のブラック・アングル」が、今週号で残念ながら、終了することになった。ご本人が「長年にわたるご愛毒心より感謝申しあげます」と、作品でおっしゃっている。担当編集がその歴史を振り返る。センスにあふれ、華麗なテクニックで毒の世界を生んだ山藤さんと「ブラック氏」、45年間、本当にありがとうございました。

【ロッキード事件に関連し、田中角栄の交友関係を描いた週刊朝日1976年4月30日号の「ブラック・アングル」はこちら】

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 私が山藤さんの担当になったのは1985(昭和60)年のことだった。「ブラック・アングル」が始まって9年、「似顔絵塾」が始まって4年である。円熟期の山藤さんには新聞、雑誌などの注文が殺到し、テレビにもよく登場されていた。

 そんな売れっ子の山藤さんが、週に1回、朝日新聞社にフラリと現れる。「ブラック・アングル」の打ち合わせで、編集部員が4、5人集まって、山藤さんとおしゃべりをする。話題のニュース、スキャンダル、政治家、犯罪、芸能(とくに落語)と話題が次々に飛ぶ。静かに聞く山藤さんが、時に鋭く質問する。入社3年目の私は役立たずで、打ち合わせの席では食べてばかりいた。こんな部員は他にもいて、

「我々は山藤さんのブレーンではない。ストマックなのだ」

 と、居直る先輩までいた。そして翌日、打ち合わせでは全く話題にものぼらなかった「ブラック」が編集部に届けられる。毎週、あ然として魔術(マジック)を見る思いだった。

 もっとも冷静沈着な山藤さんだが、この年は浮かれ気味でもあった。無理もない。阪神タイガースが21年ぶりにセ・リーグ優勝を決め、さらに日本一になった年でもあった。

 ただし、山藤さんのタイガース愛は、実にクールだった。横浜スタジアムに試合を一緒に見に行ったことが何度かあるが、七回ごろに、山藤さんはすっと帰ってしまう。

「阪神が勝ってるうちに急いで帰ったほうがいい。負けていたら逆転はまずない。中華街もしまっちゃうからさ」

 ダンディーな山藤さんが、いたずら小僧の「ブラック氏」になる瞬間がおもしろかった。

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