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 それは「英語が話せない」「編集者やジャーナリストのように、社会事象に対する意見を持って仕事をしていない」「大きなテーマを掲げて働きたいのに、どんなテーマを追究すればいいか分からない」という3つのコンプレックスでした。日本を離れてヨーロッパで数年間暮らそうという決意も、これらのコンプレックスの反動でした。

 コンプレックスを克服するためには、自らを客観的に眺めることが必要だ――。

 こうしてそれまでのキャリアを捨て、ヨーロッパで成熟社会での生き方を学んだことは、それ以後の私の人生を決定的に変えてくれました。コンプレックスという谷を徹底的に観察したからこそ、その後の人生の「山」が予想もつかない形で生まれていったのです。

 谷は深ければ深いほど、それに続く山並みは高くなります。自分自身の“谷の深さ”にぜひ、自信を持ってください。

 さあ、あなたはどんなエネルギーカーブを描くでしょうか?

■エネルギーカーブは、富士山一山型から八ヶ岳連峰型へ

 実は、エネルギーカーブは「一つの山」だけで十分とは言えません。それは近代から現代にかけて、私たちの寿命が大きく延びたことが原因です。

 図をご覧ください。

【図】3世代の「人生のエネルギーカーブ」の違い(本書より)
【図】3世代の「人生のエネルギーカーブ」の違い(本書より)

 これは、「明治時代」「昭和・平成」「私たちの時代」における人生のライフサイクルについて、3種類に分けて描いた図です。

 明治から大正時代にかけて日本人の平均寿命は、43歳前後でした。当時の平均寿命の短さは乳幼児死亡率が高かったことも一つの要因ですが、50歳を超えたら「隠居して社会の一線から退く」のが通例だったのです。子ども時代をゆったり過ごし、大人になれば、兵役を果たしたり家業を継いだりして一所懸命働き、隠居の時期を迎えたならば、余生は趣味の時間を大事にしながらいずれ死に至る。それが一般的なあり方でした。これを司馬遼太郎の有名な歴史小説になぞらえて「坂の上の雲型人生」と呼んでいます。

 ちなみに、夏目漱石も、『坂の上の雲』の主人公の一人、秋山真之(元連合艦隊参謀)も49歳で亡くなっています。

「昭和・平成」期を見てみましょう。太平洋戦争の敗戦後、長らく続いた昭和・平成を生き抜いた世代は、平均寿命が80歳前後に延びたことで、60歳の定年退職後に20年前後の余生を手にすることになりました。しかし、基本的に人生のエネルギーカーブのピークは、40代から50代にかけて訪れることが一般的です。年収もその頃が最も高く、仕事に家庭に遊びにと、充実した日々が待ち受けていました。私はこの世代を「富士山型一山世代」と呼んでいますが、エネルギーカーブのピークが一つで良かった。それが当たり前だった時代だと言えるでしょう。

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