哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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今、政府部内で私学経営のかたちを一変させる法案が検討されている。私学での不祥事続発を承(う)けて「ガバナンス強化」のためにルールを見直すのだそうである。最大の変更点は理事会に代えて評議員会を大学の最高議決機関にすること。理事・監事の選任・解任をはじめ、寄附行為の変更、学校法人の合併や解散までもが評議員会の専管になる。評議員の任期は理事より2倍以上長く、評議員の選任は「委員会」に委ねられ、理事や教職員は5年経過しないと評議員になれない。どう読んでも、学内者を排除して、学外から大学に入り込んでくる少数の評議員が経営の全権を握ることができるような仕組みに変えることをめざしているものである。
政官財界など「学外者」による大学支配の企てはこれまで何度も試みられてきた。遠くは2003年の小泉内閣による特区における株式会社立大学の容認である。大学にはビジネスマインドがないので、「実務家」が経営すれば市場のニーズに合った理想的な大学ができるという触れ込みだったが、蓋(ふた)を開けてみたら申請却下や募集停止が相次ぎ、新規開校の話も絶えて聞かない。しかし、「実務家」が市場原理に基づいて経営すれば大成功というほら話について誰からも反省の弁を聞いた覚えがない。
15年には学校教育法の改定があって、教授会が大学の重要事項の決定機関から学長の諮問機関に「格下げ」された。学長に権限が集中され、教授会は入試判定、卒業判定、人事、予算あらゆる重要事項についての決定権を奪われた。それ以後、学内意向調査では下位の候補者が学長になるケースが次々報道された。学長に全権を与えると同時に学長選考プロセスが密室化されたのである。
そして、今度は理事会の無力化である。理事会に代わって強力な権限を持つことになる評議員として、研究とも教育とも無縁の学外の「実務家」たちを大学に送り込むための布石である。日本学術会議の新会員任命問題で研究者たちからの激しい抵抗に遭った政府が日大事件を奇貨として大学人からあらゆる権限を奪うために考え出したのだろう。分かりやすすぎて涙が出そうだ。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2021年12月13日号