「松坂さんは、試合を見ていた人たちの脳のリミッターを外したと思います」

 当時、高校生が150キロ台を投げることは夢物語にも思われていた。

「ずっと『できない』と言われていた呪いのようなものを松坂さんは打ち破った。しかも、その姿がテレビで(全国に)流れた。映像で見た多くの子どもが『自分もできるかも』と可能性を信じるようになっていたと思います」

 その後、150キロ台を投げる選手が増えたのは「松坂効果」と言っても過言ではないだろう。

「松坂は日本選手と大リーグとの距離を近づけた」

 そう表現する関係者もいる。

 2006年オフに大リーグ・レッドソックスへ移籍した際、西武に支払われたポスティングシステム(入札制度)での落札金は約5111万ドル(当時約60億円)。自身が球団と結んだ6年契約の総額と合わせ、米メディアからは「1億ドルの選手」と呼ばれた。

 大リーグで実績のない選手への巨額な投資である。07年シーズンは米メディアやファンから年間を通じて注目された。本当に通用するのか──。開幕前のキャンプには日米の報道陣が200人近く集まった日もある。テレビカメラ十数台が全ての動きを追いかけた。

 そんな状況のなかで松坂は活躍してみせた。チーム最多の32試合に先発して15勝(12敗)を挙げ、投球回は204回と3分の2。プレーオフでは、負ければ終わりのア・リーグ優勝決定シリーズ第7戦を任されて勝利した。ワールドシリーズでも先発し、自ら2点適時打。日本選手初の同シリーズ勝利投手になった。

大リーグ・レッドソックスの松坂は2007年、ワールドシリーズでロッキーズを破り、同シリーズ制覇に貢献した(Getty Images)

■計り知れない重圧のなか 当時の監督も驚く活躍

 結果、大リーグの多くの球団に日本投手を獲得するメリットを強く感じさせた。翌08年以降、日本の各球団のエースたちが次々と好条件で海を渡っている。

 最初の対戦は投手が有利とも言われる。だが、大リーグ挑戦1年目からここまで力を発揮することは並大抵ではない。当時のテリー・フランコナ監督(62、現クリーブランド・ガーディアンズ監督)はレッドソックスを退団後、こんな思い出話をしてくれた。

「色々な選手を見て接してきたけど、あれだけ注目された選手は見たことがない。何より日本を代表してきていた。(手厳しい報道がされる)ボストンは選手にとって簡単な地ではないから、背負っていた重圧は計り知れない。ダイス(松坂)にはいつも感心していた。本当にたいしたやつだ。俺は大好きだよ」

 フランコナ監督は、米プロバスケットボールNBAを一時引退して野球に挑戦したマイケル・ジョーダン(58)が所属したマイナーリーグのチームを指揮していた。それだけに言葉には重みがある。(朝日新聞社・遠田寛生)

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