
西武の松坂大輔が引退セレモニーに登場し、現役生活に正式にピリオドを打った。高校時代から華々しい活躍を続け、日本の野球のレベルを引き上げることに貢献した。晩年は故障に苦しんだが、諦めない姿で人々を強く引きつけた。AERA 2021年12月20日号の記事を紹介する。
【写真】甲子園決勝戦でノーヒットノーランを達成し歓喜のガッツポーズをする松坂大輔
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支えてくれた全ての人たちへ、ストレートに感謝の気持ちを言葉にした。
「僕が投げてきたことで少しでもファンの方が喜んでくれたり、勇気やパワーを送ることができたりしていたのなら、こんな姿になってもまだまだ投げ続けたいと思いながらやってきて、本当によかったと思います」
12月4日、プロ野球・西武のファン感謝イベントが開かれた埼玉県所沢市のメットライフドーム。グラウンド内に1人立った背番号18のユニホームを着た松坂大輔(41)は、引退スピーチで大勢のファンにそう語りかけた。
間違ったニュアンスで伝わることを恐れ、米メディアには自分で答えられる質問もあえて通訳を介すほど言葉を大切にする選手だ。この日は万が一にも伝え忘れないようにと、ファンに断りを入れた上で、ズボンの後ろのポケットから紙を取りだし、読み上げた。
緊張で何度も詰まりながら約7分間、思いの丈を伝えた。
「23年間、長い間支えていただき、前へ進むために背中を押していただき、本当にありがとうございました」
グラウンドの四方に向き直しては深々と頭を下げた。
「平成の怪物」と呼ばれた剛腕投手の旅がついに終わった。
■甲子園で150キロ台記録 その後の高校生たちも続く
今年7月の引退表明から何度となく、記者は元選手やスカウトら野球関係者と「松坂が球界に残した功績」について話す機会があった。最も耳にしたのは、子どもたちに与えた勇気だった。
「できない」「無理」「不可能」──。
そんな言葉の壁を次々と打破してみせたのが松坂だったという。

象徴的な例が、横浜高のエースとして甲子園の春夏連覇に貢献した1998年だ。スカウトのスピードガンの記録とはいえ、松坂は新垣渚(沖縄水産高)とともに甲子園で150キロ台を記録。しかも夏の決勝ではノーヒットノーランを達成した。漫画のようなストーリーは多くの人の胸を打った。
松坂の大リーグ時代に専属トレーナーを務め、現在は川崎市を拠点にバドミントン女子の奥原希望(26)らトップアスリートをケアしている鍼灸師・植野悟さんはこう語る。