芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、横尾さんの愛猫おでんについて。
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「週刊朝日」の今号は猫特集なので「猫にちなんだお話を書きませんか」と担編さん(担当編集者)の鮎川さん。「猫ねえ? 日本の歴史始まって以来の空前の猫ブームでしょ? そんなブームには便乗したくないけれど、『タマ、帰っておいで』と題した猫画集など出している手前、まッ、エエカ!」
おつき合いさせていただきますけどね。
日頃から「猫は僕の生活必需品」なんて猫をモノ扱いしているので、もし猫が言葉を話すなら、「何さ、君こそ私の生活必需品よ」と反論してくると思いますね。そー言われると、<人間・僕>は確かに猫のための生活必需品かも知れない。でも<人間・僕>がいなければ猫は生活できない。自給自足のできないわが家の猫は、食、住は人間に頼っている。こーいう人間の上から目線で物を言うと猫は、「私の存在抜きでは君は絵の一枚も描けないじゃないの」と反論する。「たった今、私のことを生活必需品と言ったばかりじゃない。君は私を飼っているつもりらしいが、その考え方は人間の傲慢よ。私は君のために飼われてあげているのよ。また食べてあげているのよ、わかりますか、君は私の食欲が失くなった時、絵も描けないほど心配はするし、ちょっと外出から帰りが遅いと、近所中に聞こえる大声を張りあげて、『おでん、おでん』と叫んでいるじゃないの。変な名前をつけられて、あたしはえらい迷惑なのよ。近所の人は、あそこのご主人はまるで小学生みたいに奥さんに『おでん、おでん』と毎日叫んでいる、よっぽどおでんが好物のご主人なのね、なんて笑われているのを、君は知らないでしょ。日頃から、芸術家はインファンテリズムだなんて、子供っぽく振るまうのをまるで芸術の核のように思っているらしいけれど、私だって、もっといい名前をつけてもらいたかったわよ。おでんなんて恥ずかしい名をつけられてェ」と一気にしゃべりまくった。