9月に“文春砲”を食らった鬼龍院翔
9月に“文春砲”を食らった鬼龍院翔

 一方、女子たちもいわゆるグルーピーと一緒で、「とにかく有名人なら抱かれたい」リビドーの赴くままに入り待ち⇒出待ち⇒追っかけタクシー⇒打ち上げ会場潜入⇒宿泊ホテルロビーに夜通したむろ、ととにかく積極的だった。名古屋には《ファック隊》なる異名を誇る、バンドマンなら誰でもいいから突撃するバンギャルが実在したほどだ。ここらへん大槻ケンヂの小説でもおなじみ、のはず。

 将を射んとする者はまず馬を射よではないけれど、ローディーなどスタッフや異性に縁が薄そうな楽器系雑誌の編集者とまず関係を持ち、ターゲットのバンドマンとの距離を縮めていく女子もいた。

 そう。要するに、<需要>と<供給>の均衡が保たれていたのだ、あのころは。

 もちろんこれは、「ごく一部」のバンドマンと「ごく一部」のバンギャルの話にすぎない。

 1990年代半ばには、当時人気絶頂のV系バンドの全国ツアー全数十公演を追っかける結構な額の費用を稼ぐために、キャバクラで頑張って働く女子が珍しくなかった。しかし彼女らの目的は性的な類ではなく、完全追跡&制覇することで膨大な時間をバンドと共有できる悦びに浸りたいだけだったりする。まさにバンドの<運命共同体>なのだ。

 ちなみにある運命共同体女子は、地方の公演先で知り合った「今夜泊まる場所がない」と訴えるバンギャルを自分のホテルに泊めてやったら、翌朝そいつに残りの全公演チケットと移動の飛行機や新幹線チケットを全て持ち逃げされてしまった。それでも彼女は、「同じバンドのファンだから気持ちはわかる」と、なんと悲しみを堪えつつ赦してしまった。

 こんな心の洗われる話もあるから彼女たちの存在を一概に否定してはならないし、日本のロックは聴き手である運命共同体たちに育まれて成熟、いや成立できたのだ。

 さて、今回の金爆自爆。

 まず大前提として、そもそも容姿に恵まれてないからこそ誕生した経緯もないとは言えないV系に、やっと訪れた人生初のモテ期に我を忘れたバンドマンが少なくなかったのは、自明の理だろう。やがて先達は「芸能人やモデルとお付き合いしたい」というヤンキー的な高級志向に移行して遊ばなくなり、新しい世代は<そもそも美形>が増えてガツガツしなくなった。V系に限らず酒もタバコもやらず呑みにも出かけない連中が増えたのも、大きい。というか、いまやアイドルや一般芸能人の方が圧倒的に風紀を乱しているから、隔世の感がある。

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「ダメ男だからこそ歌詞に共感できたのに」