戦前の様子(かんぽ生命保険提供)
戦前の様子(かんぽ生命保険提供)

「イチ、ニー、サン、シー」のかけ声で手足を動かすと、ほどよく体が温まる。手軽な運動として親しまれているラジオ体操は、もはや日本人のDNAに刻まれたと言ってもよさそうだ。そのルーツをたどると、およそ100年前の出来事にたどり着いた。

【図解】「国民保健體操」の手足の動かし方はこちら

*  *  *

 のっけから質問。1920年代にラジオ体操を考案・実施した役所はどこだろう。

 国民の健康を担当していた内務省衛生局(現・厚生労働省)? それとも学校教育やスポーツ行政を担う文部省(現・文部科学省)?

 いずれも違う。正解は逓信省(後の郵政省)。それにしてもなぜ? 体操とはまったく関係のない役所に思えるが……。

「ラジオ体操は、逓信省簡易保険局が立ち上げたプロジェクトなんです」

 と説明するのは、郵政省の民営化後に保険事業などを引き継いだ、かんぽ生命保険の広報部・水田慎吾さん。

「生命保険事業は、被保険者が健康でないと経営が安定しません。でも当時の日本の平均寿命は先進国と比べて明らかに短く、男女共に40歳代。近代国家を目指すにあたり、工業の発展などとともに国民の健康増進も必要だと考えられました。そこで当時の職員が欧米視察を重ねたんです」

 1923年に訪米した簡易保険局監督課の猪貞治課長は、保険の資料を提供してもらっていたメトロポリタン生命保険(現メットライフ生命保険)を訪問。たまたま、同社がラジオ体操を計画していることを知る。

 画期的な試みだと感心した猪熊氏は、帰国後に「逓信協会雑誌」でその計画を紹介した。

 メトロポリタンは25年にニューヨーク、ワシントン、ボストンなど6都市でラジオ体操を開始。ちょうどこの年、日本でもラジオ放送が始まった。水田さんが続ける。

「その年に訪米していた進藤誠一課長は、実際に宿泊先で体操を行い、爽快さを実感。帰国後に実施を訴えました」

 なおメトロポリタンの放送に先立つ22年、ボストンのラジオ局が体操の放送を流していたという説もある(これが正しければ世界的にみて今年はラジオ体操実施100年となる)が、逓信省担当者はその情報は知らなかったと推察される。

次のページ