僕は毎日のようにグリニッジ・ビレッジを徘徊し、サイケデリックムーブメントのど真ん中で、今、目の前で起こっているこのヒッピームーブメントを脳細胞ではなく肉体細胞の中に取り入れて、自分自身をこの時代精神に洗脳させてしまいたいと思った。そしてこの経験をぜひ一柳さんとも共有したいと思って、彼が今までそれほど興味を示さなかった、サブカルチャーの世界に何とか、前衛音楽家を洗脳したいと、一柳さんをビレッジに誘い出して、今、現実に起こっているこのニューヨークの文化的カオスの中に誘導したいと思った。そして毎日のように2人でビレッジのヒッピーショップを訪ねて、フラワーチルドレンのシンボルでもある花柄のネクタイを買いあさった。驚いたことに一柳さんは100本以上のネクタイを買った。2人の話題はこのヒッピームーブメントを何とか日本に紹介できないかと考え、帰国と同時に前衛芸術の拠点の草月会館で、サイケデリックショーを演出することにした。ネーミングは三島由紀夫の伝記を書いたジョン・ネイスンからサジェスチョンされて、「サイコ・デリシャス・ショー」として、赤坂にディスコ・ムゲンを作った浜野安宏の協力を得てステージにはバイクや、電子楽器、ダンサー、エレクトロニックな照明など、現代音楽とサイケデリックロックとポップアートなどを折衷した、かなりクレージーな舞台を演出したが、観客の誰ひとりも立ち上って踊る者もなく、舞台の喧騒に比べて客席は静まりかえったままだった。ニューヨークでたった今起こっているムーブメントは東京の若者には全く無関心を装われて、サイコ(最高)デリシャスが最低デリシャスになって完全無視。2人は愕然としてしまった。
その後もなんとかこのニューヨークの狂熱の空気を伝えたいという思いを諦め切れず、一柳さんと大阪の11PMを一時間ハイジャックして、ライブでサイケデリックパフォーマンスを行ったり、カラーLPを製作して「一柳慧作曲・オペラ横尾忠則を歌う」では内田裕也とザ・フラワーズに出演してもらったり、11PMでの音源を再編集したり、高倉健さんに替え歌「網走番外地」を歌ってもらったりして、何とか日本の沈黙したままのサブカルチャーを発火させ、あの沸騰したニューヨークのサイケデリックを再現したいと努力した。一柳さんのヘアーも銀行員のスタイルから、マッシュルームカットに、コスチュームもフラワーチルドレンのヒッピーファッションに変身。変わらなかったのは日本のアングラ土俗的なサブカルチャーで、まだグループサウンズ全盛の時代だった。ニューヨークのサイケデリックムーブメントとは、水と油のようにどうしても融合してくれなかった。そして一柳さんとの交友もこれを機に、50年近く疎遠になってしまった。そんな一柳さんの突然の死に、一瞬言葉を失ったが、あの時代の魂は決して消えていないことを確信した。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2022年11月4日号