デビューシングル「裸足の季節」(左)と、2枚目のシングル「青い珊瑚礁」のレコードジャケット
デビューシングル「裸足の季節」(左)と、2枚目のシングル「青い珊瑚礁」のレコードジャケット

■洋画きっかけにあの名曲が誕生

 聖子が登場したタイミングもまた、絶妙だった。

「70年代後半に入り、アイドルシーンを牽引したキャンディーズが解散し、山口百恵は三浦友和との交際宣言と引退を発表。社会現象となったピンク・レディーの人気も下降します。代わって渡辺真知子や桑江知子など、今でいうJ-POP系のシンガーが新人賞を獲得するようになった。窮地のアイドル界に、百恵さんと入れ替わるように忽然と現れたのが松田聖子さんでした」(中森さん)

「裸足の季節」で話題をさらった勢いのまま、3カ月後の7月に発売されたのが「青い珊瑚礁」だ。若松さんは言う。

「たまたま映画館で流れてきたブルック・シールズ主演の恋愛映画『青い珊瑚礁』の予告編。次は夏っぽい曲をということだったので、これでいこう!と。映画と同じタイトルで反対意見もありましたが、ひらめいたところで誰かが自信をもって進んでいかないと。ものづくりとはそういうものだと思います」

 アイスクリームのCM曲になり、初めて若松さんが聖子の声を聞いたときのように南の島の情景が浮かぶこの曲は、じわじわと売り上げを伸ばし、同年の新人賞を続々と獲得。翌年の春の甲子園の入場曲にも選ばれる大ヒットとなった。「ザ・ベストテン」で1位を獲得した週の放送で実家と中継がつながった際の、「おかあさーん」という涙の呼びかけも、大きな話題を集めた。中森さんは言う。

「いっぽうで、『ぶりっ子』と女の子たちからのバッシングもありました。人気漫才師だった春やすこ・けいこがネタにしたこともあった。それでも、“聖子ちゃんカット”は同世代の女の子の間で大流行。のちにスターとなる中森明菜さんや小泉今日子さんら、いわゆる“82年組”のデビュー当時の髪形もみんな聖子ちゃんカットだった。そんな現象を、20歳前の女の子が一人で起こしたということだけでもそのすごさはわかります」

 その後、「風は秋色」「チェリーブラッサム」「夏の扉」と、ヒットを連発。しかし、若松さんが惚れ込んだ「声」が、一般層に評価されるようになるのはもう少し後のことだったと中森さんは言う。

「初期の曲は彼女の声の伸びやかさをよく強調したものが多かった。だけど、当時は『うまい』『声がいい』とまでは、まだ言われていませんでした」

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