川田の母親は、「私は芸人になることも反対してましたし、東京に行ってからも反対してました。あの性格ではうまくいくはずがないって」と笑う。

 ガレッジセールは、そんなエピソードもコントのネタにしつつ、天然ボケの川田のツッコミと、エッジの立つキャラのゴリのボケで人気を獲得していく。90年代末に「笑っていいとも!」のレギュラー出演を皮切りに、沖縄ブームをつくったとされるNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」に揃(そろ)って出演するなど、時代と目が合ったふたりは売れっ子芸人の仲間入りを果たした。安室奈美恵やSPEEDなど「沖縄発」のカルチャーが爆発的に売れていく時期でもある。

■復帰50年のタイミングで 伊江島へ通い始める

「最初はガレッジで沖縄のネタやってもウケなかったんですが、東京で沖縄の受け入れられ方が変わってきたんですよ。その頃から沖縄ネタやコントがウケるようになって、沖縄のおもしろさを伝えたいという気持ちが強くなっていきました」

 フジテレビのバラエティー番組「ワンナイR&R」でゴリが女性に扮したキャラクター「ゴリエ」が誕生すると、日本中でブームとなった。対照的なふたりが生み出すガレッジセールの笑いは広く受け入れられ、押しも押されもせぬ人気芸人へと駆け上がった。

 天然ボケで、天真爛漫(らんまん)なキャライメージの強い川田が今、沖縄戦で島全体が焦土と化し、島民の約半数が戦闘に巻き込まれて亡くなった伊江島に通っている。生き延びた戦争体験者のインタビューを「復帰っ子」の仲間と一緒に続けているのだ。前出の金城もプロジェクトを応援している。クラウドファンディングで集めた資金などを活用し、インタビューした映像はドキュメンタリー作品として完成させる予定だ。

「復帰50年のタイミングで、ぼくの中で何かがものすごく変わったんです。戦争体験者の話は、幼い頃は聞いてはいたんですが、大人になってちゃんと聞いたことはなかった」

 沖縄戦の体験者のインタビューをするきっかけは、2年ほど前に親友が突然亡くなったことだった。川田が小学生のときに同じ団地内の棟に住んでいた幼なじみ。川田は親友の死にショックを受けている中、その親友の知り合いでもあった「復帰っ子」たちと出会う。彼らと会っているうちに、沖縄戦の体験者の話を聞こうという話に発展し、仲間の一人のツテで、伊江島戦で生き残った「おじい」や「おばあ」の話を聞いてみようということになった。その体験は、凄(すさ)まじいものだった。

「伊江島から沖縄本島へ馬で海を渡ったセージンおじい、避難していた壕(ごう)に毒ガス弾を投げられて、父親と親戚はほとんど亡くなったカメキチおじい、自分の子どもを殺して、それでも生きているおばあの苦しさ……。伊江島戦の資料館にも行った。戦闘に巻き込まれて亡くなった血だらけの子どもの着物を見て、精神的にも落ちました」

 そのとき、おじいやおばあの声の記録を残す、と川田は心に誓った。「何となく知っていた沖縄の戦争を生の声で聞いて、心が叫び声を上げたみたいになった」のだと言う。

「ぼくの中で考えたこともなかった『復帰っ子』の使命感のようなものに目覚めて、いま体験者の証言を聞いて伝えなければという衝動に突き動かされるようになった。50年間で初めての経験です」

(文中敬称略)

(文・藤井誠二)

※記事の続きはAERA 2022年10月10-17日合併号でご覧いただけます。

暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?