大人なのに子ども扱いされる
イベントは、司会の東ちづるさんとEテレ「バリバラ~みんなのためのバリアフリー・バラエティー~」でおなじみの玉木幸則さんがコメンテーターとして登場し、脳性まひ当事者の4名の方が「生きづらさだヨ!全員集合」をテーマに語り合いました。そして登壇者が日常で困っていることを発表したのち、会場でディスカッションをするという流れで進みました。
たとえば、「不随運動(自分の意思とは無関係に身体が動くこと)で困っている」という話のあとに、参加者から「不随運動に名前を付けて、あ、また○○が勝手に…と笑いに変えてしまうのはどう?」という提案があったり、「言語障害があるため、(会話中に)自分ではなく介助者に話をされてしまう」という話題に、「聞き返すことが失礼なのか? 分かったふりをして流す方が失礼なのか?」という議論が起きたり、「大人なのに子ども扱いされてしまう」という話に周囲から「わかる!」と言葉が上がったり。
イベントが進むにつれ、会場内がひとつにまとまっていく雰囲気を感じました。ちづるさんが言語障害に関し、「会場のみんなが真剣に聞いていて、初めは聞き取りにくかったかもしれないけれど、少しずつ聞き取れるようになっていない?」とおっしゃったことに、多くの方が大きくうなずいていたのが印象的でした。
歩けたら車いすはいらない?
私が個人的にとても聞き入ってしまったのが、「歩ける脳性まひの人が車いすを使うか?自分で歩くか?」というテーマのディスカッションでした。
我が家の息子も歩ける脳性まひ児です。本人は通学時にはかたくなに車いすに乗ることを拒否し、どんなに靴擦れがひどい日でも必ず自分の足で歩くことを選びます。登壇者の方も同じように、幼い頃からずっと独歩で生活をしてきて、20歳を過ぎてから車いすを使うようになったそうです。理由は「歩けるから」でした。
息子を含め、この理由はよく聞きます。なんとなく、「歩けるなら歩くべき」という固定概念があるのでしょうか。会場内でも同じような経験をお話されている方が複数いました。「メガネをかけた方が読みやすいからメガネをつくる」と、「足が楽になるから車いすをつくる」というのは、理論的にはよく似ていますが、どうやら同じではないようです。身体障害者手帳で車いすを作成する際の助成も、2級までしか出ない自治体もあれば5級まで出る自治体もあるなど、制度的な理由もあるのかもしれませんが、それ以上に、「頑張って歩くこと」をご自身で選択される方が多いように思います。けれども、無理をして歩くことは、大人になってから振り返った時にはメリットだけではないようです。
「もっと早くから車いすを使っていたら、もしかしたら車いすテニスや車いすバスケをする機会があったかもしれない」という意見や「無理をして歩いていたために、首や背中を痛めてしまった」という話もありました。