芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、導引術について。

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 以前、わが家にミンネというがいた。このミンネが病気になって、食欲もなく、痩せ衰えて、骨と皮だけで立体感のないまるで平面の板切れが立っているような姿になってしまった。近所の獣医の先生も「今夜辺りが最後ですので病院で死なせますか、家に連れて帰られますか」と死の最後通達を出されてしまった。どうせ死ぬなら家で、と連れて帰ることにして、一晩中僕のベッドで添い寝することにした。

 その時、フト、以前習った導引術のことが頭をかすめた。両方の手の平を強くこすると熱くなる。熱くなった手の平をミンネの腹の両方からソッと抱くように当ててみた。手の熱を感じたのか、ちょっと驚いた表情をしたが、すぐ気持ちよさそうな顔に変わった。そんな「お手当て」療法を一晩中、何度も手をこすりながら、朝まで看病を続けた。すると、朝方、起き上がれないはずの身体なのに自力で起き上がろうとした。そしてベッドから降りようともした。もしや導引術の効果では、と僕は大喜びした。そしてミンネは一命をとりとめて、その後、数年間延命した。

 さらに、もう一匹のルンという猫は顔の半分に大きい腫瘍が出来た。病院に連れていく前に、再び、手の平を温めて腫れ上がった頬に「お手当て」をしてみた。すると、異変を感じたのか、後ろ足で患部を掻きむしった。すると皮膚の一部が破けて、中から膿の塊のようなものが大量に飛び出した。その結果、病院にも行かないで、きれいに完治してしまった。ミンネとルンを導引術の施術で治した僕は獣医になれるかもと秘かに思ったものだ。

 導引術を初めて知ったのは親しい編集者からだった。ある日、彼がひょっこり展覧会場に現れた。肥満体の彼が驚くほどスマートになっていた。「病気でもしたの?」と聞くと、「一度横尾さんも試してみて下さい。健康になります」と言っていわき市の日本道観へ行きましょうと、電車の切符まで用意して、僕をそこの道場に案内してくれた。彼の痩せた原因は導引術をやった結果だという。導引術は中国の古代の医術で、文化大革命までは権力者のみが利用する秘密の健康法だったのが、文化大革命以後現在は民間にも解放されたと彼はいわきに行く道中、僕にその導引術の歴史や施術法についてこんこんと説明した。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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