着いた道場には宿泊施設もあって、そこの道長から僕は直接導引術を習うことになった。人の手を借りずに、全て自分の手足を動かしながら、足を揉んだり、按腹したりするだけで、どの動作を行うのも、例の猫にしてやったように、手の平を摩擦しながら、様々な動作を30分たらずで終える。あんまり簡単なので、僕はあっけに取られてしまったが、夕食時に急に気分が悪くなって自室に戻った。その後、頭が痛くなったり、吐き気をもよおしたりして、少々びっくりした。道長は「ちょっと効き過ぎたかな? それにしても素直な身体ですなあ」と、僕のようにこんなに即効性のある人はいない、と妙に感心されてしまった。
一緒に行った友人も、導引術の即効性に驚いていた。この夜は僕の身体の異変とシンクロしたのか一晩中、天候が荒れて、暴風雨が道場の建物を襲った。一夜あけたら、昨夜と打って変わってピーカンである。だけど、窓から外を見ると、田畑は浸水して、道路も水没、まさに昨夜の僕の身体の異変をそのまま、自然が体感したような風景に変わってしまっていた。
やがて水も引き、僕の肉体もすっかり快調になっていた。僕はいっぺんに導引術の虜になって、この日以来、1、2年間は毎日、1日に2回、30分たらず、海外旅行先でも行った。僕の教わったのは基本的な導引術だが、これで十分である。わが家の2匹の猫にも通用した導引術は、別に猫用の導引術ではないが、死にかけていた猫が再生したのは、導引術の宇宙的エネルギーが動物にも作用したのではないかと思った。
身体の部分に変調をきたすと、日本道観にメールをして、新たな導引術を教わったり、自力で治したり、いつの間にか導引術そのものが自分の主治医のようになってしまった。僕は西洋医学と東洋医学の両方に興味があるので西洋医学の他力と東洋医学の自力を自由に活用している。
僕は昔から貝原益軒の「養生訓」を座右の書として、旅行には必ず携帯する。「養生訓」もそうだが、導引術も心と肉体を切り離してはいない。心を入れかえるというのは非常に難しいが、導引術は肉体を改造する(悟らせる)ことによって精神をも悟らせるという効用がある。精神主義によって心に影響を与えるのではなく、導引術という肉体主義によって精神まで変えてしまうというのである。禅は坐禅という肉体行為を通して悟りに至らしめるが、導引術にも共通するものがあるのかも知れない。先ず導引術の効用は身体を動かすことによって病気の原因になるストレスを解放してくれる。そして導引と一体となっているのが呼吸法である。導引の動作と呼吸は不離一体の関係である。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2022年10月7日号