原発の問題は、結局そこに行き着くのだと思う。自分は生きていないであろう将来のために、余分なお金を払ったり、不便な暮らしに耐えたり、ただでさえ余裕のない中でそんなホトケのような行動を取れるのか。やはりそれはリアルにホトケでない限り難しすぎることだ。原発はできれば止めたいと多くの人が願っていても、なし崩し的に事態が元へ戻るのはそう思うと致し方ないことかもしれない。
で、ですね。ここで私が言いたいのは、その「原発を抱きしめて幸せになるか」「離れて不幸になるか」という選択肢そのものが実は違うんじゃないかということである。
電気をほぼ使わない暮らしを実際にやってみて何が驚いたって、待っていたのは想像していたような我慢でも不便でも不幸でもなく、安心と楽しさと豊かさだったことだ。ゆえに「1億円あげるから元に戻って」と言われたら全力でご辞退申し上げる。無論誰もがそうなるかは不明。でもこのささやかだがリアルな事実には、幸せを求めるほどなぜか不幸になってしまう現代人のジレンマを解く鍵があるように思う。我らはまだまだ「やりよう」があると思うのだ。

◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2022年10月3日号