テレビドラマで認知症の老人役もやったことがあるし、医師を演じることが多かった學さんだ。役で使うマイ聴診器(ファンの医者から贈られた)を持っているそうだ。病気に対する関心は深い。疑問がわくと専門書で調べたり医者に取材したりもする。知的好奇心が旺盛なのだ。医学雑誌にコラムも書いている。
「30年以上前に亡くなった父がアルツハイマー型認知症でした。病室で『あそこの壁から子どもが出てくる』とよく言っていた。今思えばあれも幻視だったんですね。以来、この病気のことについてはとくに興味を持っていました」
父とは建築家の山本勝巳さん(富山市郷土博物館など代表建築は多数)である。弟は圭さん(今年3月に81歳で死去)と亘さん。ともに俳優である。
父の仕事を見ていて建築家にはなりたくないと思っていたそうだ。たまたま三越劇場で見た芝居で舞台装置に興味を持ち、弟・圭さんの友人の父親だった東野英治郎さんに相談して俳優座の養成所に。でも、関心はあくまで舞台装置、役者になるつもりはなかった。養成所同期には田中邦衛や露口茂、井川比佐志らがいた。
成蹊小・中・高校からエスカレーター式に大学に進学していた學さんだったが結局、大学は中退、養成所で舞台の勉強に打ち込んだ。
父からは「30歳までに建築事務所を継いでくれればいい。それまでは好きなことをすればいい」と言われていたが、養成所にいる間にテレビ出演の声がかかった。俳優はできないと断りに行ったが「海外ロケもあるよ」との言葉に誘われ引き受けることに。当時のテレビドラマはリハーサルを重ねての生放送である。
■側頭葉血流悪くMCI診断受け
「NGが出せない生放送では極度の緊張感で台詞(せりふ)を間違えないことが大切だった。芝居をするというより、サーカスの曲芸かスポーツのようなものでした」
と學さん。テレビ業界は芝居の基礎ができた人を必要としていたに違いない。東芝日曜劇場など依頼が殺到した。「愛と死をみつめて」のヒットもあって、學さんはドラマを何本も掛け持ちでこなすようになった。TBSからフジテレビへとハイヤーを玄関に待たせて移動することもしょっちゅうだったそうだ。