経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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今、労働観の歴史的変遷について勉強している。「21世紀の労働」のあり方がどうあるべきか、見極めたいと考えているからだ。
2014年から15年にかけて、仏経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本』が世界的超ベストセラーとなった。これと対になる著作として、「21世紀の労働」が書かれるべきだ。筆者はずっとそう考えてきた。本欄でも、そう書いたことがある。
そして今、大胆にもこのテーマに自分で挑戦している。四苦八苦しているが、チャレンジ感は最高だ。労働観の変遷に関する調査も、この挑戦の一環だ。何が見えてきたか。この分野の専門的研究者は先刻ご承知のことばかりだろう。だが、筆者は発見の興奮を噛み締めている。
端的にいえば、人々の労働観は、それを苦痛の塊とみなす受け止め方と、それを歓喜の泉と捉える考え方の間を揺れてきた。古代ギリシャのポリス社会において、労働の労は労苦の労だった。魂の自由を得るには、高等ポリス市民は労働を敬して遠ざけ、余暇を謳歌(おうか)し、その中で深淵な観想に浸るべし。労働は奴隷と下等市民に任せておけばよろしい。これが当時の常識だった。