本来のマリウポリは多民族・多文化の開かれた社会で、革命前には大いに繁栄していたらしい。都市の名が聖母マリアに因んでつけられていること、アゾフ海が遠浅の海で、夏は酷暑にもなること。活気のあるこの町で、貴族の末裔かつ裕福なイタリア人の血を引く者として、恵まれた暮らしをするはずだった母の運命は、時代の荒波によって大きく変えられてしまう。革命は、ブルジョアの出自を恥ずべきものとした。スターリンによる粛清や、密告の横行する社会には、自由がなく、未来への希望もない。ドイツが独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に攻撃を仕掛けてからは、空襲による命の危険にさらされる。

 母は一生を通じて、ずっと飢えていたのだ、と「わたし」は気づく。この洞察は切ないものだ。安心できる暮らしが、母の人生にはなかった。ドイツでの強制労働は過酷であり、戦後は激しい差別に悩まされた。それでも帰国しなかった理由も、この本には書かれている。

 歴史の大海のなかに見出した母の姿は、悲痛なものだった。母が何故、戦後になってもあのように鬱々とした日々を送らざるを得なかったか、「わたし」は理解する。安易に結論が出されるわけではないが、死後数十年経った母と、「わたし」はようやく和解できたのではないだろうか。当時、ドイツへ向かう強制労働者たちが通過した収容所の写真を、「わたし」は眺める。「ただ数としてのみ存在する名もなき人々の群れ。そのひとりひとりがわたしの母なのだ」という言葉は心に響く。

 現在の世界も、多くの難民を生んでいる。ウクライナのみならず、多くの地域から逃れている人々。「ただ数としてのみ存在する」不遇の人々が、生の輝きを取り戻すことができるように。そう祈らずにはいられなくなる。

週刊朝日  2023年1月27日号

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