■運命を変えたデザイナーとの「出会い」
施設で働きたいと現れたのが、ファッションデザイナーとして活躍した経験を持つ古田ココさんだった。赤い髪に真っ赤なマニキュア。福祉の世界では異色であろう彼女との出会いが、GAKUさんの運命を変える。何事にも興味を示さず、教室をすぐに飛び出してしまうGAKUさんを美術館に連れて行くようになったのだ。
16歳になって間もない頃、川崎市にある「岡本太郎美術館」に連れ立ったココさんから、典雅さんにメッセージが届いた。
「がっちゃん(GAKUさん)が同じ絵を見ながら5分以上、立ってましたよ」
両親ですら一度も見たことがない出来事が、ココさんの目の前で起きたというのである。翌日、GAKUさんが発した言葉に、2人はさらに驚かされた。
「GAKU、Paint(がく、絵を書く)」
絵の具と紙を渡すと、円形の模様をいくつか書ききって「GaKu」と名前まで入れて、こう言った。
「たいよー!」
岡本太郎と言えば「太陽の塔」があまりにも有名だが、GAKUさんにその知識はなく、美術館の展示物の説明書きも理解することはできない。何から太陽だと感じとったのか、典雅さんもココさんもいまだに分からないという。
GAKUさんが絵を描き切ったこと自体が驚きだったが、画家を目指したこともあるココさんは、その一枚の絵に才能を確信。絵に集中してみようと典雅さんに提案した。
「どこまで続くか見てみようと、まずは画材を揃えました」(典雅さん)
その日以来、GAKUさんは毎日絵を描くようになった。描く時だけは、なぜか多動が消える。
どんな描き方が得意かを知るために画材を増やすなど、それとないサポートはした。ただ、絵はすべてGAKUさんの我流。最初はカラフルで抽象的な絵が中心だったが、いつしか笑顔の動物の作品が加わり、たまにダークな色の渋い絵も登場するようになった。
気が付くと、中学時代の大荒れだったGAKUさんはいなくなっていた。
「ミュージアム、飾る」。そう言い出したGAKUさんのために1年後、都内であいている美術館を探し初の個展を開いた。どうせならと価格を付けたら、15万円の絵が10枚売れた。