典雅さんは、そう笑う。そんなGAKUさんだが、絵を描くときだけはアーティストとしてのスイッチが入る。このアトリエで年間200以上の絵を仕上げており、数十万円から、高いものでは300万円で買われた作品もある。個展も多く開催し、来年早々にも蔦屋代官山などでのコラボレーション企画が決まっており、この他にも調整中の企画があるという。
■成長期に大きく荒れる
GAKUさんが絵に目覚めたのは16歳の時だ。転機の伏線はその少し前、GAKUさんが中学生時代の典雅さんの決断にあった。
背が伸び、大人の身体へと成長していく年頃。GAKUさんはとても荒れていた。
「身体が大人へと変化していく中で、自分の今後に不安を抱いたのだと思います。家では毎日のようにパニックを起こし、椅子を投げたり妻の腕に噛みついたりと激しく暴れていました。『大きくなったね』など、成長を喜ぶ言葉をかけることは特にNGでした」(典雅さん)
息子のこれからをどうするか。
典雅さんの脳裏にはある記憶が焼き付いていた。米国から日本へ帰国した時、GAKUさんを近所の福祉施設に預けようと見学に行ったのだが、その時に感じたのは福祉の現場の強い閉塞感だった。
その経験と、息子の現実。典雅さんの心には、ひとつの思いが浮かんだ。
「息子の成長に合わせて、彼が生きやすい環境を作っていきたい」
福祉の分野とはまったく違う仕事をしてきた典雅さんだが、GAKUさんのために大きな決断をした。自らの手で発達障害児を対象とした「放課後デイサービス」を立ち上げ、障害者福祉の仕事へと完全に道を変えたのだ。さらに中学卒業に合わせてフリースクールを作り、GAKUさんはそこに入学した。
大切にしたのは、障害児たちができないことを正すのではなく、その人なりの可能性を模索する居場所作りだ。
「やりたくないことをねじ込もうとするのではなく、何か可能性が見えたらそこに集中してみようと。時間割りも設けませんでした」(典雅さん)