じつは、こういうオジサンはモテる。特に、昔はやんちゃだった人が自然志向にというのは、女性にとっての萌えツボを刺激するようだ。
たとえば、反町隆史。若い頃は栄作と似たファッションで「言いたいことも言えない」などとシャウトしていたが、今ではすっかり穏やかになり、趣味のバス釣りに夢中だ。また「昭和のプレイボーイ」と呼ばれた火野正平も還暦を過ぎてからは自転車で全国を回り、旅先でチョウを追いかけるような牧歌的な姿で再ブレークした。
では、栄作の若い頃はというと、ビッグマウスが売りだった。いや、彼の場合は「ジャンボマウス」だ。というのも、1995年に休業して米国留学する際「ジャンボになってやる」という発言が話題になった。のちに、そのときの気持ちを「ビッグになる、では普通すぎたので」と明かしている。
前出の「徹子の部屋」では過去の出演映像も流れ、かつてのジャンボマウスぶりが紹介された。そのひとつが、芸能界を目指すきっかけとなった高校時代のエピソードだ。
それは新宿にある50階以上の高層ビルから街を見下ろした際、歩く人たちが「ありんこ」に見えたため「自分はありんこみたいな中の一匹で終わってしまうのがすごくイヤ」になり「東京に出て何かしたいなと」思ったというもの。当時、コラムニストのナンシー関からは「単なる遠近法の問題ではないのか。おもしろいなあ栄作は」などとちゃかされていた。
そしてもうひとつ、スターになってからの美学というのもある。彼いわく「お金を出してくれるファン」がいる以上「街でインスタントに見る人がいちゃいけない」のがスター。それゆえ「自分はね、街を歩いちゃいけない存在なんだなって言い聞かせてるんですね」と語っていた。公園で大の字になったりしている今とは大違いだ。
しかし、こうした発言がちゃかされるようになった頃から、彼は失速していった。米国留学から帰国後、俳優業を再開したものの、ライバル的存在だった織田裕二のようにはヒット作に恵まれず、テレビ的な役者としては低迷期に入る。