人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、パンダについて。
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本物のパンダを見たことがないというと、あきれられる。中には哀れみを含んだ目で見る人もいれば、変な人という目で見られることもある。別に見たいとも思わない。みんなが可愛い可愛いと大騒ぎするものだから、生来の天邪鬼が頭をもたげてくるのだろう。
パンダは大熊猫と書くが、ネコ科ではなくクマ科の肉食動物に属するので、笹だけではなく、ネズミやウサギなどの小動物もたまには食べるらしい。
あの笹と遊び噛みつく様子や、双子でころげまわるのは確かに可愛くはあるが、いかにも可愛いだろうという可愛さが好きになれない。パンダは意識していないのだろうけれど、媚びに見えてしまうのだ。たぶん私の方がひねくれていて、パンダに罪はないのだろうけれど。
猫は大好きなのだが、あの勝手さがいいのであって、自分の好き勝手にしか動かないから近寄って甘えるのも、自分がそうしたい時だけ。あとは見向きもしない。
ともかく猫は一日中見ていても飽きない。鑑賞にたえる野生味がある。パンダにはその勝手さと面白さがないのだ。などというと黒柳徹子さんに叱られそうだが。
そのパンダの体調検査はどうやって行うか。人間と同様、手の血管から血液をとって検査を行うのだが、餌で馴らし、訓練して、合図をすると小さな窓から手をさし出す。そこから血液を採取して血液検査をする。
パンダに限らず、他の大型獣でもその方法がとられているというが、確かにパンダが飼育員に片方の手をさし出して血液を採取され、もう一人の飼育員がごほうびに笹を目の前にぶらさげている図を想像すると、おかしくもあり、可愛くもあり……。
そんな私にも、パンダに興味を持たざるを得ない出来事が起きた。
双子のパンダが上野動物園で生まれたが、一般公募した結果、ついた名前が雄が暁暁(シャオシャオ)、メスが蕾蕾(レイレイ)。なんと雄は私と同じ名前ではないか。私の名は暁子。