その代表例として名前を挙げるのは、タイトルホルダーとキタサンブラックだ。
昨年の皐月賞とダービーでそれぞれ2着、6着だったタイトルホルダーは、菊花賞を逃げ切ってGI初勝利。これで開花し、今年は天皇賞春と宝塚記念をともに圧勝。押しも押されもせぬ日本最強馬として凱旋門賞に臨む。
キタサンブラックは2015年の皐月賞で3着に入ったものの、ダービーでは14着惨敗。しかし菊花賞で優勝するや才能が目覚め、GI7勝の偉業を達成した。
「菊花賞で勝ってから、次の年の凱旋門賞に挑戦すればいい。日本の3000mで勝つだけのスピードとパワーがないと、ヨーロッパの2400mで勝負できません。菊花賞に勝って三冠馬になったオルフェーブルだからこそ、凱旋門賞では2年連続2着というレースができたんです。私は凱旋門賞でのタイトルホルダーの活躍を楽しみにしています。その結果いかんでは、菊花賞が見直されるじゃないですかね」
杉本さんが初めて菊花賞を実況したのは、アカネテンリュウが勝った1969年だ。アカネテンリュウは夏に急成長し、当時「戦後最大の上がり馬」と称されたという。
「71年のニホンピロムーテーのこともよく覚えています。ダービーは8着でしたが、夏に函館競馬場での青函ステークスで良い走りをしたので、この馬は強いぞというイメージを持ちました。菊花賞では2コーナーから先頭に立って逃げ切りました」
このように夏に力をつけた馬の活躍を楽しむのも、菊花賞の醍醐味である。
ファンの記憶に残る「メジロでもマックイーンの方だ~」と実況したのは、90年のこと。優勝したメジロマックイーンは、春の2冠には出走すらかなわなかった。その年の菊花賞での一番人気は、ダービー2着のメジロライアン。
「メジロ牧場の方も、ライアンに期待していたんですよ。ライアンは自分の牧場で生産した馬、マックイーンは別の牧場で生産した馬ということもありましたし。だから騎手の勝負服も違った。ライアンは袖が白に緑の縦じま、マックイーンは袖が緑1色でした。私も、前走で3000mの嵐山ステークスを勝ったとはいえ、まさかマックイーンが勝つとは思っていなくてビックリ。実況では“平凡な言葉”が出てしまいました」
マックイーン同様、春2冠に出走できなかったものの菊花賞で勝って開花し、その後GIで勝ち星を重ねた馬は少なくない。グリーングラス(76年、GI3勝)▽メジロデュレン(86年、GI2勝)▽スーパークリーク(88年、GI3勝)▽マヤノトップガン(95年、GI4勝)▽マンハッタンカフェ(2001年、GI3勝)▽ヒシミラクル(02年、GI3勝)▽デルタブルース(04年、海外含めGI2勝)▽フィエールマン(18年、GI3勝)といった馬たちだ。
「ひと夏を越して強くなる馬がいる」
杉本さんの言葉を信じて、夏競馬に注目したい。
(本誌・菊地武顕)
※週刊朝日オンライン限定記事