他にも、「ドカベン」の愛称で親しまれた選手は多い。

「奇跡のバックホーム」でいまだ語り継がれる1996年夏の甲子園決勝。その試合で本工(熊本)を下し全国制覇を果たした松山商(愛媛)の主将で、高校通算75本塁打の今井康剛氏はポジションこそ一塁手だが、170センチに90キロ近い体形で「伊予のドカベン」と注目を浴びた。

 1999年夏の甲子園で準優勝した岡山理大付(岡山)の4番捕手、森田和也氏は体重105キロ、甲子園で150メートルの特大弾を放ったパワーで「瀬戸内のドカベン」。 

 2004年夏に2年生ながら横浜(神奈川)の涌井秀章(現楽天)から本塁打を放った、明徳義塾(高知)の中田亮二(中日―JR東海硬式野球部)は120キロの体重に似合わぬ俊敏さも併せ持ち、「土佐のドカベン」と人気者だった。

 ただ、ドカベンの連載は1981年まで。その後、「大甲子園」「プロ野球編」などの続編が週刊少年チャンピオンで連載されたが、時代の移り変わりか、その後の球児や少年たちの興味の対象からは、徐々に外れていったのかもしれない。

 記者たちがドカベンに絡めようと取材したが、当の選手本人がドカベンを知らず、肩透かしに終わった例もある。

 現巨人の炭谷銀仁朗は、ポジションは捕手ながら体形は山田太郎とは似ていない。ただ、実家が山田太郎と同じ畳屋という、なかなか一致しなさそうな共通項があった。平安(京都)から2006年に西武に入団時、記者たちがドカベンの話を聞くと、「読んだことないです」とあっさり。あのドカベンを知らないのかとベテラン記者らは仰天した。

 今年、西武がドラフト1位指名した渡部健人(桐蔭横浜大)も、175センチに115キロの巨漢スラッガーで、一部メディアでは早くも「ドカベン渡部」の愛称がついているが、本人はドカベンを詳しく知らないという。

 そして、作者である水島さんの引退――。多くのファンに愛され続けてきた「ドカベン」も、ひとつの“節目”を迎えたのかもしれない。(AERAdot.編集部)

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