◆官僚主導の限界 「政治主導」意識
そんないきさつがあった宮沢内閣だったが、バブル経済がはじけて大不況に陥っていく。
この大不況は、過去の連載号でも述べたように、まさに米国にやられたわけね。「円高にしなかったら日本を潰す」なんてやられて、プラザ合意を結び、さらには米国が関税の引き上げや輸入制限をかけてきた。当然ながら後々、大不況の中で日本の財政事情は非常に悪化する。
バブル時代、銀行は企業などにがんがん、金を貸していた。担保となったのは土地。その不動産の地価が5分の1、さらには10分の1といった具合に下がった。すべての融資が焦げ付き、大赤字に陥った。
そこで宮沢は、銀行を救うために公的資金を投入しようとした。このときに投入していれば10兆円ぐらいで済んだとされている。ところが、「公的資金の投入を認める」ということは、大蔵省(現財務省)が「金融政策の失敗を認める」ということになる。
当時は“官僚主導体制”だから、大蔵省は失敗を認めない。公的資金の投入に大蔵省が反対する。そうすると、財界も全部反対、新聞各紙も全部反対した。
宮沢自身、もともと大蔵官僚だったけれども、僕にこう言った。
「田原君、この国は総理大臣よりも大蔵省のほうがはるかに力が強い。こんなんじゃ国がどうしようもない。何とかしなきゃいけない」
この言葉を聞き、僕もそれ以降、「官僚主導体制を何とか“政治主導体制”に変えなきゃいけない」と強く思うようになるわけね。
その後、政治主導を強力に進めた一人が小沢だった。民主党政権では事務次官会議が廃止。やがて内閣人事局もできた。政治主導が定着すると、今度は官僚が忖度(そんたく)するようになった。
特番がきっかけで宮沢政権が倒れてしまったんだけれども、宮沢との会食は続いた。無念だったはずの宮沢も「あのときはしょうがなかったね。自分もそう思った」と。そんな言葉をかけられたね。(構成・週刊朝日編集部)
※次回は細川護熙・羽田孜・村山富市です
※週刊朝日 2022年2月11日号