「池上彰と増田ユリヤのYouTube学園」のゲストとして収録中。この日はドイツの選挙について解説を担当した。ドイツで活用されている「投票マッチングアプリ」の話などにホストの2人も興味津々(写真=倉田貴志)
「池上彰と増田ユリヤのYouTube学園」のゲストとして収録中。この日はドイツの選挙について解説を担当した。ドイツで活用されている「投票マッチングアプリ」の話などにホストの2人も興味津々(写真=倉田貴志)

夫との初対面は「ムカつく」
「エヴァ」で11時間話し込む

 マライはドイツ最北の都市、キールに生まれた。アジアとの出合いは幼い頃に見た絵本だった。アジア各国の文化が紹介された絵に引かれたマライを、伯母が民族博物館のアジアコーナーに連れていってくれた。そこには侍の刀や着物、「羊」という漢字が書かれた掛け軸があった。

「アルファベットと違う、角をはやした羊の絵のような字がとても格好いいと思いました」

 興味が高じて14歳で日本語を習いはじめ、1999年、16歳で日本の高校に留学。留学先は兵庫県姫路市にある県立姫路飾西高等学校だった。わずか10カ月間だったが、ここでマライは濃密な体験をする。

「留学時代の“黒歴史”について話しましょうか」

 という言葉とともに語られた数々のエピソードは今聞けば抱腹絶倒だが、母国で自己主張の大切さをたたき込まれた少女にとっては苦労の多い時代だった。制服を着て、「ヘアピンやヘアゴムは黒に限る」という校則を守るため、金髪を黒いピンで留めていた。「逆におしゃれしてるみたいに見えたかも」(マライ)。髪を染めるわけにもいかず、地毛で登校するマライの姿は、「飾西高校に金髪のヤンキーがいる」という謎の噂を呼んだ。

「バカバカしい校則がたくさんありました。なんだか『ルールに従わせる訓練』をさせられている感じでしたね」

 ただ、それ以外は楽しかったという。クラスメートとは普通につきあえたし、ドイツにはないという部活の吹奏楽部に入部してフルートを吹いた。友人たちのおかげで日本のサブカルやエンタメに強くなり、関西のお笑いにもなじんだ。帰国する頃にはまわりが驚くほど日本語が上達していた。

 ドイツに戻るとボン大学に進学し日本学を専攻。04年、早稲田大学で日本語を集中的に学ぶ別科生として再来日した。

「その年の11月、留学生と日本人の交流会が早稲田で開かれ、主催者に頼まれて私も参加しました。内向的なので本当はあまり大人数の会は得意じゃないんです。だから一番壁際の席を取り、隣の席に荷物を置いてトイレに行きました。戻ってきたらなんと荷物がどかされていて、そこに男が座ってる! ムカつきましたよ(笑)」

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