いつもならここで「大変ですね~」という言葉が返ってくるはずだ、とわたしは頭の中で次の答えを用意し始めました。しかし、若い美容師さんの口からは予想外の言葉が返ってきました。

「にぎやかでいいっすね」

 実に軽やかで、まるで子ども3人など珍しくもなんともないといった反応に、マニュアル通りの会話をこなそうとしていたわたしの思考はつまずきました。次の言葉が見つからず、「確かににぎやかですね……」としどろもどろに答えながら、思い出したのです。そう、子どもが3人いると、にぎやかでいいのだと。日々、人から「大変」と言われ、自分でも「大変」と言い聞かせ続けているうちに、すっかり忘れ去っていた事実でした。美容師さんは「まあ、自分子どもいないから全然わかんないですけど」なんて笑っていましたが、「わかんない」からこその新鮮な返答に、心が洗われるようでした。

「大変」という言葉を、わたしはつい相槌のように使ってしまいます。

「上の子が受験で」「大変ですね~」

「会社が吸収合併されることになって」「大変だね~」

「健診がある」とか「明日は月曜日だ」とか、大変でもなんでもないニュートラルな事柄にも習慣的に大変だと相槌を打って、相手のことを気遣うふりをしています。自分自身が大変だと言われるのが好きだから、相手にもそう言っているのかもしれません。

 わたしのような人は、日本人には多いのでしょうか。1年前、アメリカから日本に引っ越すことを決めて周囲にあいさつを始めたとき、アメリカ人と日本人で返ってくる言葉が真逆だったことを思い出しました。アメリカ人には「Good luck!」、日本人には「大変だね」と言われることが多かったのです。

 アメリカ人は基本的にポジティブさを大切にしていて、雑談のときに使う相槌は「Nice!」や「Awesome!」、その明るさには時々疲れることもありましたが、話をするたびに元気と自信をもらえました。ジムの習い事では、インストラクターの先生がいつも「Way to go!」「Good job!」とポジティブな掛け声をかけてくれるので楽しく通えたし、歯医者さんでは口を大きく開くだけで先生が「You are doing great!」とほめてくれるので虫歯の治療も苦ではありませんでした。

 もちろん一連のフレーズは形骸化した相槌で、相手は習慣的に言葉を発しているだけなのかもしれません。ただ、たとえそこに本心があってもなくても、「Good luck!」と繰り返し幸運を祈ってもらえるほうが引っ越しが楽しみになったことは事実でした。言葉の力は偉大。それは子育てにも通じるでしょう。これからは「大変」ではなく「にぎやか」のような気持ちが上向きになる言葉を使おうと、アメリカでの経験も思い出しながら心に誓ったのでした。


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