(週刊朝日2022年2月18日号より)

 すると、福島は「実は社会党の事務局の人たちの多くが民主党へ行っちゃったから。事務局が『得か損か』の判断でみんな行っちゃった」と話していた。「だから社民党にスタッフが残らなかった」と言うんだね。国会議員だけの政党になると、運営がスムーズにできなくなってしまい、その後の縮小へとつながった。

 得か損か、じゃなくて、正しいか間違っているか、が必要なことだと思う。とりわけ政治の世界、人間の価値観というのは難しい。

(構成/週刊朝日編集部)

第79代 細川護熙(ほそかわ・もりひろ)/1938年、東京都生まれ。朝日新聞記者を経て、71年に参院選で初当選。83年から本県知事。92年に日本新党を結党し、翌年、38年ぶりの政権交代を実現し、非自民連立政権の首相に就任。小選挙区比例代表並立制の導入など政治改革4法を成立させたが、政治資金疑惑を追及され退陣した。

第80代 羽田 孜(はた・つとむ)/1935年、東京都生まれ。バス会社勤務を経て、69年に自民党から出馬し、初当選。85年、中曽根康弘内閣の下で農水相として初入閣すると、その後、蔵相、外相を歴任した。93年に自民党を離党、新生党党首として躍進し、翌年、細川護熙内閣の後を継いで首相に就任したが、在任約2カ月で退陣となった。

第81代 村山富市(むらやま・とみいち)/1924年、大分県生まれ。72年に初当選し、細川連立政権参加後の93年9月、社会党委員長。翌年4月に連立離脱を表明。6月、自民、社会、新党さきがけ3党の連立政権で首相に就任すると、国会で自衛隊合憲、日米安保容認を表明。95年、植民地支配と侵略を認め、反省とおわびを述べた村山談話を発表した。

※次回は橋本龍太郎の予定です

週刊朝日  2022年2月18日号

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