
◆「お兄さん」と羽田から呼ばれ
地元でも非常に評判がよかった。威張らないし、非常に腰が低い。彼には金銭や女性関係のスキャンダルが全くなかったからね。だから本音で話し合えて、羽田は、僕のことを「お兄さん、お兄さん」と呼んでいた。
自民ではかつて「竹下派七奉行」の一人だったけど、敵のいない人物だった。自民の中には“反羽田”なんていないよ。やっぱり「この国を本気で良くしたい」と、前向きに考えていた。だから、小沢が羽田にほれ込んだ面もあったんだと思う。
気配りも非常にあったけど、当時はほとんどが小沢に対する気配りだったね。つまり、小沢の言うことを全部のむってことは、逆に自分で腹を決めて体を張るってことだからね。
それでも、世間からの印象が薄いと思われるのは、野心がなかったから。野心がないから、国民に受けるようなことをあまりしない。国民に受けることをやるってことは、野心があるってこと。
村山に至っては、野心どころか、なりたくなかった。なったら社会党が潰れると思っていたから。正直で野心のない、いい男だが、僕自身、彼とはあまり深い会話はしなかった。
ただし、「(仮に首相になったら)いろいろ難しい問題がある」ということは言っていた。だからこそ、「そういう状況になる前に、何とかしなきゃいけない」というようなことを話していた。
実際、村山政権が終わると、社会党(日本社会党)が崩壊していく。繰り返すけど、社会党っていうのは日米同盟反対、自衛隊反対などを掲げてきた。まもなくして、非自民勢力として「民主党」が誕生するわけだけど、ここに加わらずに「絶対嫌だ」っていうのが福島瑞穂たちだった。
福島らは日本社会党を引き継いだ「社会民主党」に所属した。
僕は、福島に対し「民主党(2016年解散)は議員の多い大政党で、社民党にはほとんどいない。何でこんなに社民党はだめなのか」とたずねたことがある。