北京五輪スノーボード男子ハーフパイプ決勝で、2大会連続銀メダルの平野歩夢が、大技「トリプルコーク1440」を成功させ金メダルに。
平野歩夢は東京五輪ではスケートボードに挑戦し、“二刀流”と称されたが、五輪でも注目度が増しているXスポーツ(X系/エクストリームスポーツの略称)のスケボーやスノボーは、どちらかと言うと若者のスポーツのイメージが強いが、72歳のスノーボーダーがいた。
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「各地で行われているスノーボードの草大会の優勝者って、10代後半から20代が中心で、中には中学生もいたりする。だから、20代後半ではもうおじさんですよ。大会で上位入ってくるのは大概若い子。そんな勢いのいい若い子たちから僕は刺激を受けています。20代の一緒にスノーボードをやっている子たちの5倍とか6倍の練習時間をかければ、僕もついていけるんですよ」
と、話すのは、長野県上田市に住む現在72歳11カ月の甲田康さん。今回の北京五輪のスノーボード男子ハーフパイプの決勝に進出した日本人選手の4人は、平野歩夢選手が23歳、戸塚優斗が20歳、平野流佳選手、平野海祝選手が19歳と若い世代だ。甲田さんは、これらの選手たちが生まれた頃、48歳からスキーを始め、スノボは55歳から始めたと言う。
「僕は平野歩夢選手が出場したハーフパイプの(グランド)トリック系はやらないでカービングです。長野県上田市で生まれましたが、スキーを始めたのは48歳でした。妻からは“スキーに連れて行ってくれない”と、ずっとボヤかれていましたね。息子がスキーをやるようになって、“行ってみようか”というのがスキーのきっかけで、かなり遅かった」
甲田さんが住む長野県の他、雪深い地域の人たちは幼い頃からスキーをやっている人も多いが、甲田さんはむしろスキーが好きではなかったそう。
「長野の人はみんなスキーをやっていると、思うでしょ!?(笑)そうじゃないですよ。子どもの頃、国道が家の前を通っていて、そこをスキー旅行の大型バスが何台も何台も上がって行っていました。小学校の頃、スキーのスクールに連れて行かれて“寒くて、嫌だ”っていう記憶しかなかったから、そのバスの列を見ながら“あぁ、バスで行って着いたら寒いだろうに……”と思いながら眺めていました」