分科会などの会議は内閣官房に直接進言するため、首相にも伝わり、トップダウンの政策にもつながる。厚労省のアドバイザリーボード会議での発言となると、厚労省内部にとどまる。そのため、内閣官房や各省庁に横断的にその危機意識が共有されることはない。なぜ尾身氏は分科会とアドバイザリーボードで発言を使い分けるのか。岡田氏はこう見る。
「それまで尾身氏は、GOTOトラベルについて『感染拡大にはつながらない』とし、この頃から政治家と一緒に会見することも増えてきました。感染リスクを低いものとし、GOTO事業を推進しているように見えます。しかし、その後の21年1月に第3波がやって来て、1月7日に緊急事態宣言が出されました。『今回の流行は危ない』という認識になり、方針転換の発言をし始めたのが、厚労省のアドバイザリーボードだったのでしょう。内閣官房の分科会でリスク評価が間違っていたと言わず、『危機は指摘していた』という証拠づくりのために厚労省の会議を使い分けていたのではないか」
こうした専門家の姿に田村厚労大臣も怒りを溜めていたようだ。田村厚労大臣とのやり取りの中には、大臣が専門家らに対して不満を述べるシーンもある。
<専門家が政治的にやっていたから、この国の意思決定がおかしくなったのじゃないですか!>(岡田氏)
<政治に長けた専門家を選んだってことがダメだったんだ!>(田村厚労相)
岡田氏はこう指摘する。
「尾身先生や岡部信彦先生など専門家の多くは、厚労省のアドバイザリーボードと内閣官房の分科会のメンバー、政府の諮問委員会など主要な委員会のメンバーを兼ねている。さらに岡部先生は総理に意見が言える内閣官房参与で、東京五輪では大会組織委員会の専門家会議の座長も務めています。尾身先生も岡部先生も厚労省出身で、彼らに期待されていたのは、厚労省や田村厚労大臣が危機感をもって取り組もうとしている対策を、官邸や内閣官房に伝えるパイプ役だったはずです。しかし、尾身先生は西村経済再生担当大臣(当時)と話し、岡部先生は総理と話す。本来話すべき厚労大臣の方は向いていなかった」