消しゴム版画と痛快なコラムで人気を博したナンシー関さんは、かつて週刊朝日でもコラムを連載したゆかりの人。その鋭い観察眼は、作家・林真理子さんに「有名人は、ナンシー関にだけは嫌われたくない」と言わしめるほどでしたが、情報源は「ほとんどテレビ」なんだとか。独自のポジションを作り上げ、39歳で夭逝したコラムニスト、その誕生秘話とは──。「マリコのゲストコレクション」からお送りします。1995年12月29日号掲載

「小耳にはさもう」(1993年1月~2002年6月)

*  *  *

林:一日にどれくらいテレビご覧になってるんですか。

ナンシー:まちまちです。きのうは7時に起きて、10時半までに渡すイラストをテレビ見ながらやって、ずっとつけたままで昼ごはん食べたりして、夕方ちょっと長めの原稿を書く仕事があったから、消したんですけど。

林:ナンシーさんが書くイメージ、すごく的確ですけど、あれはどこから情報を仕入れているんですか?

ナンシー:あらためて考えてみると、ほとんどテレビの情報ですね。

林:ほんとに一般の人と同じ情報しか持ってないわけですね。

*中略*(以下、*)

林:文章はだれかの影響あるんですか。

ナンシー:田舎(青森)から東京に出て来たころ、頭の中で、いったん言葉を変換しないとしゃべれない時期があって、そのときお手本にしてたのが、ビートたけしのラジオのしゃべりなんです。

林:* ところで今、ナンシー関にだけは嫌われたくないって、有名人はみんな思ってると思うけど、ナンシーさん、むやみに人を嫌ったり、傷つけたり、そういうのが目的じゃないって、文章読んでればすごくわかる。書かれてる人も、クスッと笑っちゃってるんじゃないかな。

ナンシー:林さんて、時になるでしょ、見られる中心の核の立場の人に。

林:はい。

ナンシー:昔、「笑っていいとも!増刊号」に、嵐山光三郎さんと……。フジテレビのキャンペーンガールまでやってたでしょ。* あれは完全に核に入ってますよね。率直にいうとネタになってるってことで、ネタになるにも才能がいると思うんですけど、私はネタになることの恐怖心がすごくあるんです。

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