「3回しかない貴重な治療で1回目せめて100か200に下がってくれなきゃ。全3回の治療のうち、あと2回で下げることができるんだろうか。実は激しく動揺しています」
と不安も口にしていた。
昨年8月29日の動画では、画像検査の結果も公開。西郷さんはそれを見ながら、「ガンが消えてる!」と喜んだが、その一方で、PSAの値は上昇していたことも明かした。この矛盾する結果を受けて、今後の方針について、西郷さんは次のように決意を表明した。
「(オーストラリアで受けている)治療を中断して日本へ帰るなんてとんでもない。こっちで調べて、調べて、検査して、検査して必ず3回目の治療をやる。いいね」
その後、新しい動画が公開されることはなかった。
前出の芸能リポーターの石川氏は近況をこう明かす。
「前立腺ガンが17年に再発してからは治療との闘いで、オーストラリアへ渡った。向こうで生活して、良くなったと本人が感じて、昨年9月末に日本に帰って来て、自宅療養を続けていました。昨年末、誤嚥性肺炎のような症状が出たとも聞きました。体調が悪くなって入院し、そういう中で亡くなったようです」
西郷さんは72年に辺見マリさんと結婚。1男1女をもうけたが、81年に離婚した。その後、1990年に再婚した。
「静岡県のおみやげ屋さんの社長の娘さんと再婚したんだよね。私はそのおみやげ屋さんまで取材に行ったことがあります。奥さんは初婚で、2人の間には子供をもうけています。西郷さんの治療を支えていたそうです」
西郷さんは64年に「君だけを」で芸能界デビュー。66年には「星のフラメンコ」で、「好きなんだけど~」と歌い出しながらフラメンコ調の手拍子を3回打つジェスチャーが子供たちに受けて大流行。橋幸夫、船木一夫と御三家と呼ばれて人気を博した。役者としても、「どてらい男(やつ)」(フジテレビ系)に主演し、俳優としての実力を認められていった。