日本の労働者の賃金が30年間ほとんど上がっていないという事実は、かなり広く知られるようになった。その原因については、労働生産性が上がらないからだという解説がよくなされる。確かに日本の労働生産性は、その水準が他の先進国に比べて低く、しかも上昇率も低いのは事実だ。
しかし、現場の労働者が怠け者なのかというとそんなことはない。先週号でも指摘したとおり、日本の労働者は真面目で一生懸命働くという評価が一般的だ。それにもかかわらず、日本の賃金が低いのは、経営者と政府に大きな責任があるのだが、今回は、別のところに焦点を当ててみたい。それは労働組合、特に連合の存在だ。
本来、労組の最大の仕事は、労働者の権利を守り拡大していくこと。とりわけ大事なのは、彼らの生活の糧である賃金の引き上げを勝ち取ることだ。
経団連企業の多くが、「史上最高益!」というニュースに沸き、株価は上昇、ストックオプションで経営陣は濡れ手に粟のような状況が続いているが、労働者の賃金は一向に上がらないという理不尽な現実。労働者は怒っても当然だ。ここまで賃上げ無しの状況が続けば、普通の国では、大規模なストライキが行われ、国民もそれを支持する。
日本国憲法28条で国民に保障された労働基本権には、当然のことながら、ストライキを行う権利が含まれている。かつての春闘では、鉄道の組合のストで、国民の足が麻痺することがよくあった。しかし、最近、そうした大規模なストが行われることはない。では、どうして憲法で保障された権利を放棄するようなことを続けるのか。
それは、おそらく、連合が、自分たちが国民の支持を得られていないと自ら認めているからではないだろうか。以前、国鉄がストを行うと、親方日の丸などと政府や自民党から批判を受け、それに国民も同調して組合が孤立していったという過去がある。今の連合も、自分たち大企業正社員さえ良ければ良いという本音が国民に見透かされている。非正規労働者の権利も守るとは言うが、誰もそんなことは本気にしない。非正規労働者の待遇をよくすると、正社員の待遇を引き下げられるということを恐れていると見る人も多い。