団体戦の銅メダルに始まり、男子銀・銅、女子で銅と、メダルラッシュだった北京五輪フィギュアスケート日本勢。最後の種目となった2月18日、19日のペアの競技では、「りくりゅう」こと三浦璃来・木原龍一ペアが7位に入り、五輪の日本ペアとしては初の入賞を果たした。
今回の五輪で「過去の自分たちを超えていく」という目標を掲げて急成長を遂げた「りくりゅう」ペア。だが、18日に行われた個人戦ショートプログラム(SP)で、二人はその目標を取り逃がす。団体戦で出したばかりの自己ベストを、ジャンプの失敗などで3.6ポイント下回ってしまったのだ。氷を降りる二人の表情は硬く、キスアンドクライでも、木原のトレードマークである朗らかな笑顔は見られなかった。
ペアの個人戦フリーは、翌日の19日。気持ちを切り替えるにも技術的に建て直すにも、あまりに短い時間しかなかった。木原は演技後のインタビューで、「(競技当日の)朝の練習でも、タイミングが合わなくて不安があった」と吐露している。
ここで二人は、ここまで道標としてきた言葉を、思い切って手放すという策に出た。
「自己ベストを出そうと考え過ぎず、むしろ全ミスの勢いでやろうと」(三浦)
演技前のリンクサイドでは、ブルーノ・マルコットコーチと笑顔を交わした。
腹を括って挑んだフリープログラム。前日に綻びのあったジャンプでしっかりと着氷すると、スピードのあるリフトで高い出来栄え点を稼ぎ出し、2本のスロージャンプも成功させた。滑る喜びを満面に表し、「しっとりした曲調なのにいつもニコニコしている」と三浦にダメ出しをされることもある木原だが、フィニッシュの瞬間顔を歪ませ涙をこぼした。
結果、「全ミス」どころか140点を超えるフリー自己最高点をマーク。フリーのみでは全体の5位と、大躍進を遂げた。
実は、失敗のあったショートでも、りくりゅうは全18組中8位につけている。日本代表の過去最高位は、1992年アルベールビル五輪、井上・小山ペアの14位。98年の長野五輪で荒井・天野ペアが20組中20位に終わった後の3大会は、代表すら出せなかった。木原はソチ、平昌と出場しているが、いずれもフリーには進めていない。ショートの段階で一桁順位というだけで、「日本ペアの歴史を変えた」と言うには充分なのだ。