黒澤明監督の傑作映画を舞台化した「蜘蛛巣城」。シェークスピアの4大悲劇の一つである「マクベス」を、日本の戦国時代に置き換えた作品だ。早乙女太一さんは、主人公の鷲津武時を演じる。演出は、人間の機微を丁寧に描くことで定評のある赤堀雅秋さん。早乙女さんにこの作品について話を聞いた。
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赤堀さんの舞台は、ヒーローも勇者も天才も出てこない。必ず人間の愚かさのような部分に焦点が当てられる。6年前、早乙女さんが「世界」に出演したときに感じた“普通の人間”を演じることに対する新鮮な驚き。今回の「蜘蛛巣城」で早乙女さんは、世界中で演じられてきたマクベスとその夫人のどんな人間味に、面白みを感じているのだろうか。
「僕……基本的には綺麗なものが好きなんですよ。赤堀さんの作品に出てくる人たちは、ほとんどが僕たちと同じくダメで、愚かで、それなりに頑張って生きているつもりでも、大していいことになんか巡り合えない。でも僕は、赤堀さんが作るキャラクターには、ひとかけらのすごく美しい部分があると思う。一見冷たかったり、残酷なように感じるけど、実はものすごく優しさがある人だなと僕は思っていて、リアルすぎて身近すぎて見ていてちょっと苦しくなったりもしますけど、そんな中にも何かひとかけらの綺麗なところが見つけられるのが、救いであり希望なんです」
そう一気に話してから、一呼吸置いて、「マクベスの話も同じだと思います」と続けた。
「マクベスは、魔女たちに『お前は王になる』と予言されて、夫人と共に欲に翻弄されてしまいます。まず、今回の『蜘蛛巣城』の台本を読んで思ったのは、両極端なものが常に同居している人間は、魅力的なんだなってことでした。マクベス、つまり僕が演じる武時と、マクベス夫人、つまり倉科カナさん演じる浅茅なんて、そこに2人の人間が存在しているはずなのに、まるで1人の人がしゃべってるようにも聞こえる。わかりやすく言うと、それぞれの中に天使と悪魔がいて、浅茅がなんと言っても、武時自身は自分の中にある悪魔な部分を認めたくなかったり、気付きたくなかったり。だから、逆に浅茅が自分の悪魔な部分を露悪的に見せていく感じがあったりして、2人なんだけど、1人として生きている感じがしました」