「主張がないとはよく言われます。文章に雰囲気はあるけど、主張はないって。ハハハハ」。末井昭さんは柔和で、はかなげな笑い顔をするひとだ。
「である調」の文体はエラそうだから苦手だという。だからつい、こうかもしれない、ああかもしれない、と綴ってしまう。
幼い頃に祖母の土葬を目にしたときのこと、母や継母、父、義母、東大中退でパチプロになった友人の死から、「安楽死」の選択まで。『100歳まで生きてどうするんですか?』(中央公論新社、1650円・税込み)は、幾様もの「死」を振り返り、「生きる」意味を考えるエッセイ集だ。自殺を思いとどまらせようとして書いた『自殺』『自殺会議』に連なる本でもある。
「もともと何かこれを書きたいというものがあるというより、テーマを与えられて、ええっ? 書けるかなあと思いながら引き受け、いつも四苦八苦します。ふだん、ぼうっと生きていますから」
挑発的なタイトルだが、「そういう気持ちは確かにあるんですよ。ずっと」。
近所のファミリーレストランでの光景がいまも記憶に残っている。80歳前後の女性が孫らしき子どもに「わたしは120まで生きるんですよ!」と叱るように言うのを見かけ、「そんなに生きて何すんの?」という気持ちになった。だが、しばらくしてこうも思った。
「平均寿命を考えると、ボクもあと9年。さみしくなるんですよね、残りが一桁になると」
末井さんは早くも小学校1年生のとき、人生を揺るがす出来事に出会っている。本書にも出てくるが、母が隣家のお兄さんと心中した。近くの山中でダイナマイトを使って。大人になって、その話を人に語りはじめ、重荷から解き放たれはしたが、ぽっかりと穴があいた感覚がいまもある。
死にまつわるエッセイ本だが、暗い話ばかりではない。たとえば父親が風呂場で亡くなった話は、伊丹十三監督の映画「お葬式」にも似ている。
末井さんが東京から駆けつけたとき「親父は風呂場の前で、裸で転がっていた」。裸の遺体をそのままにして、集まった親戚たちが「昭ちゃん、預金通帳のこと、お父さんから聞いてないの?」と尋ねてきた。