ティムは来日した翌年の2009年にニューヨーク・タイムズをやめている。それは経営が悪化したタイムズでいろいろ不愉快なことがあったこともきっかけだったが、「何よりも本を書いて生計をたてたい」と思ったのが理由だそうだ。

 ニューヨーク・タイムズ時代の年収は、辞めた時点で9万9000ドル。当時の円ドルレートで計算すると、約925万円だ。14年で4冊の本を書いているが、「ニューヨーク・タイムズ時代よりは年収は多い」。3.5年に一冊で生活がまわる理由は、海外版権だ。たとえば『CIA秘録』は、米国以外にも24カ国で出版されている。その全ての国の出版社からアドバンスという形で前渡し金が出る。一カ国100万円としても2400万円。なんともうらやましい。

 ティムは、フィラデルフィア・インクワイアラー時代、編集長だったジーン・ロバーツに書き手として何が必要なのかを学んだ。

「ジーンはああしろ、こうしろと言うわけではない。禅の師匠のように、語らずして記者に何が必要なのかを教えてくれる」

 ティムは、ジーン・ロバーツに「パスポートを持っているか」と言われて、1986年のマルコス政権の崩壊を現地で取材することになるが、「今考えれば、あれが冷戦の終わりの始まりだったんだ」。日々の報道だけではなく俯瞰して歴史を見ることの大切さをジーン・ロバーツから学んだのだという。

 重要な変化が起こる地域をジーン・ロバーツはわかっていた。後に、ティムがアフガニスタンに取材にいくことになったのも、ジーンの提案によるものだった。このアフガニスタンでCIAがまったく活動をしていないことを知ったティムは、帰国後、CIAをテーマにすることを思いつく。ティムはタイムズに移るが、その翌年の1994年、今度はジーン・ロバーツがニューヨーク・タイムズの編集長に就任した。

 この惑星配列のなか、1994年のティムの、CIAの自民党への秘密献金報道があった。そしてその取材のなかで、「機密解除文書で歴史を書くことに開眼した」のだという。

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