2021年撮影。石巻市の大川小学校旧校舎。半倒壊の校舎は、保存されたが中には入れない(撮影/Mark Edward Harris)
2021年撮影。石巻市の大川小学校旧校舎。半倒壊の校舎は、保存されたが中には入れない(撮影/Mark Edward Harris)

 そのハリスが、5年後、10年後に東北を訪れ、「ストーリー」だと感じたのは、再建と復興が進み、被災の跡も残さず変化した風景だ。

「見たこともない分厚い防波堤は、現代技術の粋だ。被災した町ごとにある美しい博物館や資料館、奇跡の一本松の見事な保存。日本人は、災害を忘れないようにするために、極めて優れた仕事をし、自分たちの強靱(きょうじん)さを示した。車でそういう町々を通ると、大震災という史実と、被災地の『創生』を肌で感じる」(ハリス)

 宮城県石巻市の震災遺構・大川小学校を21年、初めて訪れた。震災直後の道中では情報が不足していて、児童・教職員84人が犠牲となったことを知らず、同校には来なかった。

■歴史の残酷さを感じる

 しかし、21年に撮影した資料館と供えられた花は、「東北で撮った中で最も悲しい一枚」と語る。

「一つのコミュニティーの将来を担う世代が大半消えてしまった。僕は宗教的な人間ではないが、そこでは、子どもたちを、そこに迫っていた危機を、空気の中に感じた。学校に立つと、海なんか見えやしない。自分だって、海が襲ってくるとは思わなかっただろう。まるでユダヤ人強制収容所を訪れたような、歴史の残酷さを感じた」(ハリス)

2021年撮影。震災10年後の「奇跡の一本松」。「早朝の青空を背景にしたかった」。集落の死者・行方不明者は計2千人近くにのぼった(撮影/Mark Edward Harris)
2021年撮影。震災10年後の「奇跡の一本松」。「早朝の青空を背景にしたかった」。集落の死者・行方不明者は計2千人近くにのぼった(撮影/Mark Edward Harris)

 筆者は、ハリスと知り合ってから1年が経つが、彼は「歴史」という言葉をよく口にする。昨年夏の東京五輪は「新型コロナウイルス感染危機の最中だから歴史的だ」と取材。その直後、3度、カメラに収めるため大と東北に向かい、大川小などを撮影した。冬季北京五輪は「コロナだけではなく、中国の人権問題がなかったかのように開かれる歴史的五輪だ」と北京に飛んだ。

「写真は、瞬間と時間を凝結させ、歴史をとどめることができる。そして、歴史からは、学ぶことができる」

 と、写真の力を信じている。

「強制収容所や被災地だけでなく、困難な状況の下で暮らしている人びとなど、ストーリーがある場所は世界にたくさんある。でも、外部から見えないことが多い。3・11を含めて、それらは全部史実として記憶しなければならない」

 東日本大震災から今年3月で11年。復興庁によると、死者(震災関連死を含めて)は1万9747人、行方不明者は2556人に上る(21年3月1日現在)。(敬称略)

(ジャーナリスト・津山恵子(ニューヨーク))

AERA 2022年3月14日号