TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。映画『メモリードア』について。
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人間は記憶の集合体と言われるが、その記憶が砂のように日々こぼれ落ちていくのはどういうことなのだろう。
作品発表のたびに受賞を重ねる自主映画の旗手、加藤悦生監督最新作『メモリードア』が日本芸術センター主催の映像グランプリで突破賞に輝いた。
将来を約束され、許嫁(いいなずけ)もいるサラリーマン和也がカフェで働く女性と知り合う。20歳年上の令子に一目ぼれ。自分の人生、親の敷いたレールに乗るばかりでいいのかと思った矢先だった。親子ほどの年齢差の二人は淡い交際を始めるが、和也は、ある日、「あなたは誰?」というまなざしを令子に向けられる。彼女は認知症を患っていた。そして、自らの病を知り、「忘れること」を怖がっていた。
「死ぬ直前まであなたを記憶にとどめておけるわけじゃない。私はすぐに忘れてしまう」
「未来? 私には未来はない。私には今しかない」
「話したい事、伝えたい事がいっぱいある。認知症になってとても不安。どんどん暗くなる。周りの目も嫌。でも認知症って恥ずかしい?」
客席の暗闇の中、僕は令子のセリフをノートに走り書きした。彼女の発する言葉が僕の記憶から消えないように。
加藤監督は主人公令子の「記憶の扉=メモリードア」をこじ開けることはせず、カメラ越しにかけがえのない彼女の日常を追っていた。
「日常を撮るのが一番難しいんです。そのために試行錯誤を重ねます。食事したり、布団を畳んだり、ストーリーと無関係なちょっとした仕草をどう撮るか、そればかり考えているんです」
彼の話を聞くうち、認知症は特別ではなく、「ひとつの日常」なのだと気づいた。
「『敷居』って言葉があるでしょう」と監督が言った。「人それぞれの世界がある。その神聖な場所を守ってくれるのが『敷居』です。(映画タイトルの)『メモリードア』のドアも同じ。主人公は令子の本当の心が最後まで見えない。それでもいい。人の心はそう簡単には見れるものではありません。タイトルにはそんな意味も込めました」