『メモリードア』で令子役を演じた辻しのぶ(右)
『メモリードア』で令子役を演じた辻しのぶ(右)

 令子役の辻しのぶは僕の局のラジオドラマには欠かせない重要な俳優だが、昨年、彼女も母親をこの病気で亡くしている。

「兄二人とお見舞いに行ってね。ベッドの母が何やら画用紙に絵を描いていた。もともと絵ごころがあった人ですから。出来上がったクレヨン描きの絵には、私たちがままごとで遊んでいるのと、もう一人、もじゃもじゃパーマ頭の見たこともない女性がいた。母は彼女を指して、『お父さんがずっと前に好きだった人よ』と笑ったんです」

 辻は「ああ、あの人のことか」と思った。父の愛人だった。

 母は大人になった娘にその存在を話していた。

「『包丁で殺してやろうと思った。でも、あなたたちがいたからやめたの。殺人犯の子どもにしたくなかったのよ!』と気風(きっぷ)の良い江戸っ子の母が朗らかに言っていた。ベッドの笑顔はその時と同じだった。悲しい事、嬉しい事、いろいろあったけれど、あの頃が母にとって一番輝いていた時代だったって兄たちと話したんです。それから少しして母は亡くなりました」

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中

週刊朝日  2022年3月18日号

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