5月13日。中村さんは、石巻市の飯野川中学体育館にいた。避難所での炊き出しに、いつものように髪をタオルで覆いマスクをして参加していた。同中学校は、津波で多くの児童が犠牲になった大川小学校の関係者らが避難していた。

「大事な我が子を亡くされた家族ばかりでしたから、中に入れるのは信頼関係ができているボランティアグループだけ。マスコミ関係者は一切入れず、行政の担当者も細心の注意を払って対応されていました」(川村住職)

 配食していた中村さんは、目の前に立った同年代くらいの女性に「おいくつ必要ですか?」と尋ねた。

「一つで結構です」

 思わず顔を上げると目が合った。

「一つ。それが何を意味することか、想像に難くなかった」(中村さん)

 そして女性は静かにこう言った。

「私はすべて無くしました。でもあなたには歌がある。私たちも頑張るから、あなたも頑張りなさいね」

 返す言葉がなかった。女性は、あの中村さんであること、中村さんの過去をわかっていたのだ。

「胸にズシンと響きました。罪を償うことと歌うことは別だ、と諭されたように思ったのです」(中村さん)

 そして食事の後、被災者の大半がすでに気付いていたことを、中村さんはようやく知る。周囲の被災者から湧き上がるように中村さんにリクエストが寄せられた。

『何も言えなくて・・・夏』

 1991年7月にリリースし、92年から93年にかけて大ヒットしたJAYWALKのミリオンセラー。93年の大みそか、NHK紅白歌合戦で歌唱した名曲だ。

「その時も最初は断りました。女性に声をかけられた直後とはいえ、現地では一人のボランティアですし、まだ気持ちとして歌える状態ではありませんでしたから」

 だが、その場で起きた、歌ってほしい、というお願いを断って、雰囲気を壊すこともできないと思った。気おされるまま、やはりアカペラで心を込めて歌った。

 サビにはこうある。

次のページ
懲役2年分は実刑と思って自粛