東日本大震災から11年。チャリティーソング「花が咲く」やAKB48の「風は吹いている」など、今も歌い継がれる復興ソングが知られるが、一方で、歌手自身が被災地で再起のきっかけを得た例もある。「贖罪」のため一時、歌手活動を封印していた、ロックバンド「JAYWALK」の元ボーカル・中村耕一さんもその一人だ。
「僕は歌えません」
「いや、あなたしかいないんです」
震災から1カ月余り経った2011年4月24日早朝。宮城県石巻市桃生町にある古刹・香積(こうしゃく)寺の本殿横の檀信徒会館で、中村さんと川村昭光住職がこんな押し問答をしていた。
この日は午前9時から、隣接する登米市の斎場で、ある3人の葬儀が行われることになっていた。石巻市内の自宅で被災した遠藤正さん(当時72)・律子さん(当時71)夫妻と身元不明の11歳の少女だ。
遠藤さん夫妻は同寺の檀家である。それで川村住職が葬儀を行う導師を務めることになっており、式中の献奏を中村さんに依頼したのだ。
葬儀当日、それも数時間後には始まるという急なお願いになったのにはわけがあった。
中村さんはその前々日、名古屋市内の自宅を車で出発し、同市内の企業のボランティアスタッフとともに、宮城県七ケ浜町のボランティアセンターに救援物資を運んでいた。その後、石巻市郊外の避難所で炊き出しを手伝い、同寺院の檀信徒会館に寄宿した。それも誰にもわからないよう、マスクで顔を隠しての参加だった。
そのため川村住職は、中村さんがJAYWALKの元ボーカルなどとはまったく知らず、葬儀前日の夕食後、別の寺院の若手の僧侶から教えられた。
「ネットで検索し、YouTubeでJAYWALKの楽曲《君にいて欲しい》を視聴して、これしかない、と献奏を思いついたのです」(川村住職)
歌詞は、離れた場所から恋人を思う男性の心境をつづっている。それが、遠藤夫妻や遺族の立ち会いがない少女に寄り添う気持ちに通じると思ったという。