「感染症みたいなものすごく大きな得体の知れないものが覆い被さってきたときに、もともと持ってる逃れようのないオブセッションとか記憶とかそういったものが染み出してくる。それでどうしようもなくなるような状況を書くことで今っていうものを残せないかっていう気持ちでした。何となく怖かったものが明確になった人もいるだろうし、おろそかにしていたものにものすごく価値を見いだした人もいただろうし。私たちが隠してたものがどう引きずり出されるかっていうことに迫りたいという感じです」
六つの物語はバラバラなようでいて、すべて「記憶」というキーワードでつながっている。記憶という実体のないもの。そのあまりにも曖昧で、あまりにも個人的なものが、各々の「生」にとても大きな力を持っているということを改めて思い知らされる。
「私たちはもうコロナがいつ始まったかもあやふやなそんな中で生きている。でも、コロナだけじゃなくて、どの瞬間も過去はそうなのかもしれない。希望と忘却はセットですから、忘れて傷が癒えていくということもあるでしょう。でも、それでもやはり変わってしまったものはあるし顕在化したこともある。そういうあの時期の手触りを残せたら。あと、私たちが本当は何に囚われているのかということも。読んでくれた人の中に絶対消化できない鉛のように何か一つでも残ればと、そんな気持ちです」
(ライター・濱野奈美子)
※AERA 2022年3月21日号