元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
【写真】稲垣さんがかれこれ5年前にもらったのにまだ使い切れないというクオカード
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先日のアエラで孤独特集が組まれていた。孤独は今や国民病とのことであります。基本同感。でもなぜ現代人はかくも孤独なのかという「理由」がよく読み取れなかった。
コロナのせい? 中高年の美学が問題? コロナは孤独化を「進めた」だけだし、中高年の一人として言わせてもらえれば、そもそも中高年はどうしようもなく孤独なのでその現実をどうにか受容すべく無理やり「美学化」しているんじゃないだろうか。いずれにせよコロナも美学も存在しない時から、我らの孤独はがっちり存在していた。で、その孤独はそもそもどこから?
ちなみに私はといえば孤独とは無縁である。独身・定職ナシだが無問題。そりゃイナガキさんは本も書いてるしテレビに出てるしなどと言う人がいるが、そんなものは一時の夢。むろん何であれ仕事があることはありがたさ100%だがそれと孤独とは別問題であろう。自分を振り返っても、人生で一番孤独の近くにいたのは大会社の社員だった頃だったと思う。ついぞデキる社員になれなかった私は、終わりなき過酷なミッションを前に、誰も助けてはくれぬ、自力で乗り切らねば居場所を失うと怯(おび)えぬ日はなかった。
それがなぜ今孤独と無縁かといえば、仕事のスキルが上がったからでは全くない。この年になったらスキルなんぞ下がるのみ。頼りは根性だがこっちもヘナヘナだ。
私が孤独と縁が切れた理由は100%ハッキリしていて、それは「便利」から遠ざかったからである。原発事故を機に超節電生活を始めて以来、便利と名のつくものからできるだけ離れる方向へ今も歩み続けている。機械やシステムに頼れなければ他者に頼らねば一歩もたち行かず、それは実は誰でもできる孤独との縁切り方法と気づいたからだ。いやー孤独と無縁な人生ってものがこれほど安心で幸福とは! とニマニマ生きる日々。でも「不便は不幸」と信じる圧倒的多数の人からはストイックですねとしか言われない。いやいや「便利は不幸」なんですよ本当はと言われたらあなたはどう思うだろう。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2022年3月21日号