というようなことをおっしゃいます。私の患者さんだった方なのですが、まるで思い出せないのです。結局、あいまいに笑顔で話を合わせることになります。本当に申し訳ないことです。
言い訳めいていますが、私は診察が終わって患者さんが出て行くと、その患者さんのことはすっかり忘れてしまうのです。大事なのは、次に来る患者さんで、その方に全力を集中することにしています。前の患者さんのことが心に残っていたら、目の前にいる患者さんに申し訳ありません。
つまり、私が診察を終えた患者さんのことを忘れてしまうのは、新しく来る患者さんのためだと解釈しています。
そう考えてみると、忘れるというのは、そんなに悪いことではないのではないでしょうか。
歳をとると、過去のいいことばかりを覚えていて、昔はよかったという気持ちになります。しかし、そんなふうに、昔を懐かしんでも意味がありません。
いくら歳を重ねても、大事なのはこれからです。それがナイス・エイジングの生き方だと思うのです。記憶力が低下することで、昔のことはもういい、大事なのは未来だと教えてくれているように思うのです。
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中
※週刊朝日 2022年8月5日号