以前、筆者はストッパーのパイオニアともいえる江夏豊(南海ほか)に話を聞いたことがある。

「今そんなことを言ったらお叱りを受けるが、昔の投手は先発完投してこそ一流。リリーフ投手は二流という評価だった。私も南海の選手兼任監督だった野村克也さんに『これからは先発、抑えの分業制時代が来る。球界に革命を起こしてみろ』と言われるまで、リリーフ専門がイヤで最初は逃げ回っていたものだ」

 そう言われてみると、1978年の新浦は先発で投げていたが、抑えの重要性が徐々に認識され始めたころで、両刀遣いとして使われた。他球団でも「先発エース」が「ストッパー」を兼務したり、完全に転向したりする傾向が出てきた。

 江夏豊の206勝、193セーブのほか、大野豊(広島、148勝、138セーブ)、佐々岡真司(広島、138勝、106セーブ)、斉藤明夫(大洋、128勝、133セーブ)、山本和行(阪神、116勝、130セーブ)、郭源治(中日、106勝、116セーブ)が「100勝100セーブ」以上を記録した。

「守護神あるところに覇権あり」という言葉通り、江夏はもとより、85年の山本、88年の郭、91年の大野はストッパーとしてチームを優勝に導いている。91年の佐々岡は先発17勝でMVPに輝き、その後ストッパーに転向した。以降、佐々木主浩(横浜)、高津臣吾(ヤクルト)、岩瀬仁紀(中日)ら通算250セーブ以上(名球会)を挙げて君臨する「絶対的な守護神」が出現するのだ。

 では、なぜ巨人には他球団のように「絶対的な守護神」が不在なのか。通算では角とクルーンの93セーブが最高。以下は西村の81セーブ、石毛の80セーブ、澤村の74セーブ、鹿取の58セーブ、槙原の56セーブ、マシソンの54セーブと続く。つまり、巨人で通算100セーブ以上をマークしたストッパーは皆無。これはプロ野球12球団で巨人だけなのだ。

「江夏の21球」で、広島が初の日本一に輝いたのは79年だった。その後、江夏は81年に移籍した日本ハムで25セーブを挙げてチームは19年ぶりにリーグ制覇、MVPに輝いている。つまり、今から30年以上前には「ストッパー」の地位が日本球界に確立していたのだ。その81年に角はセ・リーグ最多の20セーブを挙げているし、翌82年には斉藤明夫(大洋)が30セーブ、83年には江夏と森繁和(西武)が34セーブを挙げて、ストッパーは「30セーブ時代」に突入した。

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