先輩社員が往時の清水さんの声を送ってくれた。81年、ポーランドで戒厳令が敷かれた朝だ。
「どこかのお子さんが大切にくくりつけておいた糸が切れてしまったんでしょうね。朝風に乗って赤い風船は窓の外へ滑っていきました。さて、風船といいますと、遥かの国ポーランドではこのところ外国からの連帯支援のメッセージを吊り下げた風船がふわりふわりと舞い降りてくるんだそうです」
清水さんの在りし日の声を聴いて空を見上げたくなった。同じ空で繋がっているウクライナの平和を祈らずにいられなかった。
「ぼくはどんなに友達でも葬式には出ない主義だ」と言っていた。「その代わり、お祝い席にはかけつける」と、僕の結婚式で、当日の朝作った詩を詠んでくれた。
「午前七時の祝婚歌」は今でも額に入れて飾ってある。
僕の母は清水さんの番組の熱心なリスナーだった。英語教師だったから朝は忙しい。そんな時はラジオが友だった。清水さんの訃報に「さっといなくなって、清水さんらしいわ」と言った。いつも聞いていたラジオがふっと聞こえなくなるように、清水さんは逝ってしまった。
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中
※週刊朝日 2022年4月22日号